宇和郡
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概要[編集]
宇和島市など、現在の愛媛県南西部一帯を領域としていた広大な郡。古代には、喜多郡を含んでいた時期もある。
地理[編集]
豊後水道に面した郡で、宇和島が中心都市。八幡浜も当郡内である。ほとんどが四国山地の山がちな地域で、沿岸部の平野も小さい。他の郡との郡境は必ずしも分水嶺となっておらず、肱川や広見川(四万十川支流)は当郡の内陸部が源流であるが、さらに内陸の山間部を縫う様に流れ、下流域は他の郡になっている。
歴史[編集]
鎌倉時代、藤原摂関家の流れを組む公家、西園寺公経の所領となった。当初、西園寺家は京にいて、宇和郡は代官が支配していたが、14世紀、室町時代頃に西園寺氏の庶流が直接宇和郡に下り、武家化していく。戦国時代にも西園寺氏の支配が続いたが、戦国末期には土佐国の一条氏、長曾我部氏、豊後国の大友氏の勢力が及ぶ。最終的に長曾我部氏が四国を統一するが、その直後、1585年に豊臣秀吉が四国を平定。
その後、紆余曲折を経て、江戸時代には当郡内に宇和島藩が設置され、伊達氏の一族が大名となった。支藩として、伊予吉田藩も立藩された。幕末の宇和島藩主伊達宗城は、五賢侯の一人として有名。
1878年、東宇和郡、南宇和郡、西宇和郡、北宇和郡に分割された。その後、宇和島市、西予市、八幡浜市が郡から独立して市となっている。