孫鄰
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孫 鄰(そん りん、202年? - 249年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将。字は公達(こうたつ)[1]。父は孫賁。弟は孫安・孫煕・孫績。子は孫苗・孫旅・孫述・孫震・孫諧・孫歆。
生涯[編集]
9歳の時に父の跡を継いで予章郡太守となり、都郷侯に封じられる[1]。20年ほど同地を治めて治績を上げた後、孫権から武昌に召還されて繞帳督に任じられた[1]。当時、潘濬が荊州を治めていたが、零陵郡重安県長であった舒燮が罪を犯して獄に下されると、以前に舒燮が潘濬を見損なわせる事が度々有った事から法に照らし合わせて処刑しようとした。多くの者が舒燮の為に取り成したが、潘濬はかたくなに気持ちを変えようとしなかった。そこで孫鄰は潘濬に会い、説得して舒燮を助けた[1]。
その後、孫鄰は夏口・沔中督に昇進し、威遠将軍に任じられたが、それぞれの職務において立派な手腕を示した[1]。
『三国志演義』には登場しない。