孫震 (呉)
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孫 震(そん しん、? - 280年[1])は、三国時代の武将。呉の皇族。孫賁の孫[1]。孫鄰の子[1]。
生涯[編集]
父・孫鄰の爵位は子の孫苗が継ぎ、孫震ら孫苗の5人の弟は全員要職に就任し、孫震は無難督になった[1]。
280年、西晋の王濬の軍が長江を下り首都・建業に迫った[1](呉滅亡)。孫震は護軍将軍として丞相の張悌・丹楊太守・沈瑩とともに3万の兵を率いて長江を渡り、西晋の城陽都尉の張喬を降伏させた[1]。張悌は張喬の降伏を信じてそのまま西晋の王渾軍と戦ったが勝てず、再び寝返った張喬により壊滅的な打撃を受け、孫震は張悌・沈瑩と共に捕らえられ、斬首された[1]。
『三国志演義』には登場しない。