奈良だけ府じゃない問題
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都が置かれていたのは、京都だけではなく奈良もそうであるのに、奈良だけ奈良府ではなく奈良県である問題。明治期には、東京・大阪・京都が府だったが、奈良はなったことがないと認識されている[1]。
肯定的意見[編集]
奈良には、平城京など都があった。
否定的意見[編集]
今は都の跡が残っていない部分が多い。京都府は一つ前の都であり、京都府・大阪府(及び明治期の東京府)は奈良よりも栄えている。
京都が今も首都だから当然奈良とは違う(首都京都説)。京都に首都が定まるまでは、首都は近畿地方の様々なところにあったので、それだけでは府にならない。
江戸時代まで、大阪と京都は日本第2、第3の大都市であり、江戸と合わせて三都と呼ばれていた。一方奈良は普通の県都クラスの都市であり、府とするには及ばない。
- ↑ 正確には1868年に二ヶ月だけ奈良府が置かれたことがある。