太宗寺

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銅造地蔵菩薩坐像
太宗寺不動堂

太宗寺(たいそうじ)は、東京都新宿区新宿にある浄土宗の寺院である。「江戸六地蔵」のひとつである銅造地蔵菩薩坐像と「江戸三大閻魔」の像が知られている。内藤新宿の名称の由来となった内藤家歴代当主の墓があることでも知られる。

概要[編集]

1596年頃、僧侶の太宗が「太宗庵」を建てたのが始まりという。近隣住民の信仰を集め、新宿御苑付近を一帯を下屋敷として拝領していた内藤家の信仰も得て、1629年の内藤家第5代・内藤正勝葬儀では一切を取り仕切り、墓所はこの地に置くことになった。1668年には第6代・内藤重頼から寺領として7,396坪の寄進を受けた。内藤家は第7代・内藤清枚以降は歴代当主が太宗寺に葬られるようになった。

基本事項[編集]

銅造地蔵菩薩坐像[編集]

銅像で像高は267cm、1712年に深川の念仏行者の地蔵坊正元が造立したとされている。正元は江戸中を勧進し、浄財を募ったという。江戸六地蔵のひとつ。製作者は神田鍋町の鋳物師・太田駿河守正儀である。像内には小型の銅像六地蔵六体、および寄進者名簿などが納入されている。東京都指定有形文化財。

閻魔堂[編集]

閻魔堂には閻魔像と奪衣婆像が安置されている。

閻魔像[編集]

内藤新宿のお閻魔さん」といわれ「江戸三大閻魔」のひとつである。像高550cm。1814年に安置されたが、その後に度々火災にあい、現在は製作当初の部分は頭部のみとなっている。1847年には泥酔者が閻魔像の目を盗んだが、盗人の体が突然すくんで転落し御用となる事件が起き、閻魔様の霊験と江戸中の評判となった。関東大震災で大破したため、体は1933年に作り直された。新宿区指定有形民俗文化財。都内最大の閻魔像である。閻魔は浄玻璃鏡をもち、死者の生前の善悪の行為を映し出すため隠し事ができず、嘘をついていることが判明すると閻魔に舌を抜かれると信じられている。閻魔堂は、通常は公開されていない。毎年7月15日7月16日縁日に御開扉される。

奪衣婆像[編集]

1870年制作の木造とされる。木造で総高は240cm。奪衣婆は閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服を剥ぎ取り罪の軽減を計るとされており、本像でも右手に亡者からはぎ取った衣をつかんでいる。衣をはぐところから、内藤新宿妓楼の商売神として信仰された。

塩かけ地蔵[編集]

全身に埋まっている地蔵である。その塩をいただいて帰ると願いがかなうとされるパワースポットである。願いがかなった場合はその倍の量の塩を返すことになっている。像立年代や由来は不明である。

内藤正勝の墓[編集]

区指定史跡に指定されている。中央に1629年に造立された内藤正勝の墓塔があり、右に内藤頼直、左に内藤家累代の墓塔がある。墓塔は3基とも宝篋印塔である。

切支丹灯籠[編集]

1952年に出土した織部型灯篭の竿部分である。石質は御影石である。江戸時代中期の製作と推定されており、全体の形状は十字架を表し、竿部の彫刻はマリア像を象徴している。現在は笠・火袋部分も復元されている。

不動堂[編集]

三日月不動像と布袋尊像が安置されている。

三日月不動[編集]

額の上に三日月を持つため、通称「三日月不動」と言われる不動明王の立像である。銅造で像高は194cm。江戸時代の作。寺伝によれば、高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、休息に立ち寄った太宗寺境内で盤石のごとく動かなくなったため、不動堂を建立し安置したと伝わる。