大阪歴史博物館
大阪歴史博物館(おおさかれきしはくぶつかん)は、都市「おおさか」を紹介する大阪市立の歴史系総合博物館である。古代から現代まで大阪の歴史をフロアごとに展示する。
沿革[編集]
大阪歴史博物館は、「大阪市立新博物館」と「考古資料センター」双方の構想を統合して建設された。[1]
大阪市立博物館[編集]
大阪歴史博物館の前身は大阪城公園内に1960年(昭和35年)に開館した大阪市立博物館である。大阪城天守閣とともに、第四師団司令部建設のため市民の募金により、1931年(昭和6年)に竣工した。後に中部軍司令部、終戦後は駐留軍施設として利用された。
1948年(昭和23年)、旧第四師団司令部を大阪市警本部として返還された。
1958年(昭和33年)、大阪府警から市へ建物が返還される。市制70周年記念事業として旧第四師団司令部の歴史博物館への転用構想がまとまる。
1960年(昭和35年)5月、博物館創設事務室設置。館蔵品ゼロからのスタートとなる。同年12月、第1期工事完了、1階開館。第1回特別展「桃山文化展」開催。
1962年(昭和37年)11月、第2期工事完了、全館開館。記念特別展「大阪の名宝」開催。
1976年(昭和51年)、文部省の科学研究費を申請できる学術研究機関の指定を受けた。
2000年(平成12年)7月、最後の展覧会「開館40周年記念特別展 博物館ものがたり―市民と歩んだ40年・そして未来へ―」開催
大阪歴史博物館[編集]
1985年(昭和60年)3月、大阪市が「難波宮跡と大阪城公園の連続一体化構想」を発表した。
1987年(昭和62年)4月、NHKと大阪市が大阪放送会館の旧大阪市中央体育館北側敷地への移転合意。同年7月、発掘調査開始(平成2年まで)し、5世紀代と前期難波宮にかかる倉庫群を発見。
1991年(平成3年)2月、遺構群を保存する方針を決定し、大阪市考古資料センター(仮称)の設置を決定。
1994年(平成6年)9月、旧大阪市立中央体育館跡地での考古資料センターと新博物館の建設を発表。
1997年(平成9年)12月、「(仮称)NHK大阪新放送会館および大阪市立新博物館・考古資料センター」の建設工事が着工。
2001年(平成13年)4月、大阪歴史博物館条例公布、建物竣工。同年11月3日大阪歴史博物館は開館する。
施設[編集]
- B1F:保存遺跡
- 1F:総合案内、レストラン「スターアイル」、ミュージアムショップ
- 2F:第1会議室(定員36名)、第2会議室(定員24名)
- 4F:講堂(定員278名)、第1研修室(定員60名)、第2研修室(定員36名)、第3会議室(定員24名)
- 6F:特別展示室
- 7F:近代現代フロア(大大阪の時代)
- 8F:歴史を掘るフロア(特集展示)
- 9F:中世近世フロア(大坂本願寺の時代、天下の台所の時代)
- 10F:古代フロア(灘波宮の時代)
- 開館時間:午前9時30分から午後5時まで (なお、特別展会期中の金曜日は午後8時まで)
- 休館日:火曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月28日から1月4日)
- 交通:地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」2号・9号出口、シティバス「馬場町」バス停前
建築概要[編集]
NHK放送会館と、市立の歴史博物館が一体の複合施設として計画された。大阪の歴史的ルーツである難波宮の遺構があり、この遺構群の軸線に合わせて建物を配置している。紡錘型の博物館は約45度向きを変え、大阪城天守閣に軸線を向けて歴史的建築と現代建築の織り込みを意図している。
- 所在地:大阪市中央区大手前4-1-2
- 主用途:放送局、ホール、博物館
- 建築主:大阪市日本放送協会
- 延床面積:90,026.41㎡
- 階数・構造:地下3階 地上18階、S造 SRC造
- 設計体制:日本設計・NTT-F・シーザー・ペリ共同企業体+NHK技術局開発センター+大阪市住宅局営繕部[2]