大石義胤
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大石 義胤
おおいし よしたね
性別
男
時代
戦国時代
-
安土桃山時代
生年月日
天文
20年(
1551年
)
死没日
天正
13年
2月26日
(
1585年
3月27日
)
国籍
日本
配偶者
福屋隆兼
の娘
親
父:
大内義隆
、母:不詳
家族構成
珠光
、
大内義尊
、
問田亀鶴丸
、
義胤
大石 義胤
(おおいし よしたね)は、
戦国時代
の人物であり、
大内義隆
の息子とされる。受領名は
志摩守
。
生涯
[
編集
]
天文20年(
1551年
)に父・義隆が、
大寧寺の変
で、殺害されるその時義胤を身籠っていた義胤の母親は、
石見国
に逃れて義胤を生んだ。
義胤は最初に大内義胤と名乗ったがその後、生まれ育った石見国の『石』の字を取り、大石義胤と名乗った。
石見国
の
城一正納
の家臣となって、
福屋隆兼
の娘と結婚した。
赤穂事件
で功を成した
大石内蔵助
の先祖であり、
赤穂城
主の
浅野氏
に仕える
大石氏
としての祖として大変名高い。
カテゴリ
:
大内氏
大石氏
戦国武将
1551年生
1585年没
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