大石比左
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大石 比左(おおいし ひさ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。北条氏照の妻(恐らく正室)。名に関してはお豊(おとよ)とも。
生涯[編集]
父に関しては大石綱周、あるいはその先代である道俊の娘とされているが、道俊の娘とする場合だと氏照との世代が違いすぎるため考えにくいとされている[1]。
『宗閑寺記録』によると、比左は天文16年(1547年)に生まれたとされており、これに従うなら氏照より年下となる。同記録では文禄3年8月23日(1594年10月7日)に48歳で死去したとされている。法名は月霜峯院輝窓祐晃尼庵主。
『永林寺過去帳』では、死去したのは小田原征伐における天正18年6月23日(1590年7月24日)に死去したとされている。この日は豊臣軍による氏照の居城・武蔵八王子城攻めで同城が落城しており、自殺の可能性もある。法名は天桂院殿輝窓祐晃禅定尼。
脚注[編集]
- ↑ 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P65