大橋局

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大橋局(おおはしのつぼね、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性徳川家康の手がついて、後藤広世を生んだことで知られる[1]

生涯[編集]

父は後北条氏の家臣・後藤忠正で長女。母は武田氏の家臣・舘氏。弟に後藤忠直がいる。生年は不明だが、すぐ下の弟である忠直が天正12年(1584年)生まれであることから、それ以前の生まれとなる。父の忠正は不明な点が多く、家康に仕えてからの禄高なども不明である。忠直は関ヶ原の戦いの後に300石を与えられている[1]

大橋局は徳川秀忠正室崇源院に仕えていたが、家康の命令で後藤光次の妻となり、後に2代目となる後藤庄三郎こと後藤光世を生んでいる[1]

脚注[編集]

  1. a b c 卜部「江戸城大奥の女たち」P176

参考文献[編集]