大村雅朗

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大村 雅朗(おおむら まさあき、1951年昭和26年〉5月8日 - 1997年平成9年〉6月29日)は、日本作曲家編曲家音楽プロデューサー

福岡県福岡市博多区出身。

略歴[編集]

実家は京染屋。5人兄弟(兄1人・姉3人)の二男で末っ子。福岡市立奈良屋小学校福岡市立博多第二中学校福岡大学附属大濠高等学校を経て、1970年(昭和45年)4月ネム音楽院1期生として入学。1972年(昭和47年)3月、ネム音楽院を卒業。ヤマハ音楽振興会九州支部嘱託スタッフ、西南学院大学、母校の福岡大学附属大濠高等学校での吹奏楽指導を経て、1976年(昭和51年)、作曲家・編曲家としてデビュー。1978年(昭和53年)、活動拠点を東京に移す。1988年(昭和63年)、個人事務所・フレスコを解散、活動拠点をアメリカ合衆国ニューヨークに移す。1993年(平成5年)に日本に帰国、再び活動拠点を東京に移す。1996年(平成8年)1月5日ロックオンカンパニーを退所、テイチクミュージックコーポレーションのプロデューサーに就任(雇用形態は契約社員)。1996年(平成8年)12月、スタジオで倒れる。1997年平成9年)6月29日肺不全のため死去。46歳没。大村は生涯独身を通していたため、「結婚すると感性が鈍る」と語っていた[1]。葬儀・告別式は大村の意向により密葬で営まれた。墓所は福岡県福岡市博多区の菩提寺である聖福寺

脚注[編集]

  1. “アイドル編<446>天才アレンジャー(上)”. 西日本新聞夕刊 (西日本新聞社). (2019年12月23日. https://www.nishinippon.co.jp/item/n/570631/ 2022年11月17日閲覧。 

外部リンク[編集]