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士徽
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士 徽(し き、? - 226年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての武将。父は士燮。兄は士廞・士祗。弟は士幹・士頌。
生涯[編集]
226年に父が死去すると孫権から安遠将軍・九真郡太守に任命される[1]。しかし孫権は交州を合浦以北は広州として分離し、さらに交州刺史として戴良、交阯郡太守に陳時を派遣してきたので士徽は孫権に不満を持って反乱を起こした[1]。士徽は頑強に抵抗して城は落ちなかったが、従兄弟の士匡に説得されたので助命を条件に降伏する[1]。しかし呂岱に謀られて開城後に兄弟の士祗・士幹・士頌と共に悉く処刑され、首級は武昌に送られた[1]。
『三国志演義』には登場しない。
脚注[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d 小出『三国志武将事典』P168