増島宏

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増島 宏(ますじま こう、1924年3月31日[1] - 2011年8月7日)は、政治学者。法政大学名誉教授。専攻は近代政治史。

経歴[編集]

埼玉県生まれ[1]旧制第一高等学校を経て[2]、1944年10月東京帝国大学法学部政治学科に入学[1]。同年に学徒出陣で出征。大陸で敗戦を迎え、3年間ソ連に抑留された後、復学[2]。1951年9月東京大学法学部政治学科卒業[1]。東京大学大学院を経て[注 1]、1953年4月法政大学社会学部研究助手[1]。のち助教授、教授。1994年3月定年退職[2]。この間、法政大学理事・常任理事を3度(1969年5月-75年4月、1978年5月-84年4月、1987年5月-90年4月)にわたって15年間務めた[1]

2011年8月7日、多臓器不全で死去、87歳[3]

人物[編集]

雑誌『現代の眼』1968年1月号の「68年日本論壇スポーツ絵図」では田口富久治田沼肇芝田進午北川隆吉らとともに「若手統一戦線グループ」に分類されている。思想運動研究所編『1970年の進歩的文化人』(全貌社、1968年)では「法大・代々木派の青年将校」と紹介されており、共産党系の学者であるとされる[4]

大学院では一高時代からの親友・篠原一の紹介で岡義武に師事し、チャーティスト・ムーヴメントを研究した。このテーマをライフワークにしていたとみられ、法政大学在職中に3度イギリスに留学している。1950年代から60年代にかけては米騒動の研究、同時代の勤務評定反対運動、警察官職務執行法反対運動、安保闘争など日本の大衆運動の分析を行った。チャーティスト・ムーブメントの研究から日本の大衆運動の分析に到るまで一貫して「政治的リーダーシップ」のあり方を基本的視点に置いた。1970年代は革新統一戦線運動を研究し、その成果は共同研究『日本の統一戦線(上・下)』(大月書店、1978年)にまとめられた[2]。法政大学理事・常務理事としては多摩キャンパスの開設(1984年)に携わった[1]

門下生に高橋彦博[2]五十嵐仁[3]などがいる。

著書[編集]

  • 『現代政治と大衆運動』(青木書店、1966年)
  • 『現代日本の政党と政治』(大月書店、1966年)
  • 『無産政党の研究――戦前日本の社会民主主義』(高橋彦博、大野節子共著、法政大学出版局、1969年)
  • 『自由民主党』(編著、新日本出版社[新日本新書]、1974年)
  • 『日本の統一戦線――革新統一への歴史と論理(上・下)』(編、大月書店、1978年)
  • 『現代日本の議会と政党』(高橋彦博共編、学習の友社、1980年)
  • 『現代日本の思想構造』(編、法律文化社[現代日本の構造選書]、1982年)

訳書[編集]

  • G.D.H.コール著『チャーティストたちの肖像』(古賀秀男、岡本充弘共訳、法政大学出版局[りぶらりあ選書]、1994年)

脚注[編集]

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  1. 『新訂 現代日本人名録98 第4巻』によれば、東京大学大学院政治学専攻(昭和29年)博士課程修了。

出典[編集]

  1. a b c d e f g 田中義久「増島宏教授御退職記念号に寄せて」『社會勞働研究』40巻3・4号、法政大学社会学部学会、1994年2月
  2. a b c d e 高橋彦博「増島宏教授の学問的業績について」『社會勞働研究』40巻3・4号、法政大学社会学部学会、1994年2月
  3. a b 8月9日(火) 増島宏先生のご逝去を悼む 五十嵐仁の転成仁語:SSブログ
  4. 思想運動研究所編『1970年の進歩的文化人』全貌社、1968年、260-261頁