坂東克彦
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坂東 克彦(ばんどう かつひこ、昭和8年(1933年)2月12日 - 令和2年(2020年)7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病訴訟の弁護団幹事長、新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めた。
略歴[編集]
新潟県生まれ。既婚者で長女、次女あり。
中央大学卒業。昭和34年(1959年)に弁護士を開業し、昭和38年(1963年)に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を果たし、昭和42年(1967年)提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加する。4大公害病で初めて原因企業を訴え、新潟地裁に昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導くことに貢献した。
昭和57年(1982年)提訴の第2次訴訟では、平成7年(1995年)まで弁護団長を務めた。
令和2年(2020年)7月15日午後5時40分、老衰のため、新潟県新潟市中央区の住宅型老人ホームで死去。87歳没。
著書[編集]
- 『新潟水俣病の三十年―ある弁護士の回想』(日本放送出版協会 2000年)
編書[編集]
- 『坂東克彦史料 戦後日本公害事件資料集成』(柏書房 2003年)