なかったこと

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なかったこととは、もともとの存在自体を抹消された何かしらである。

概要[編集]

世の中には数知れず「ボツになった提案」「失敗した挑戦」エトセトラ...が日々生まれており、それらは「ボツ」「失敗」という形で歴史に刻まれていく。しかし、最初からそんな提案や挑戦など存在していなかったかのように、歴史の根本から捻じ曲げられた何かが「なかったこと」である。

近年、インターネットなどを中心に「なかったこと」という言葉は、上記のようなやや特殊なニュアンスを込めて使われるが、非常にシンプルなフレーズであるため、いつ頃から生まれた言い回しで、何が発祥であるかを特定することはまず不可能である。しかしながら、人気ゲーム『Steins;Gate』に「この世界線はなかったことにしよう」というセリフが登場することからも分かる通り、このフレーズは「世界線・複数の歴史・パラレルワールド」といった発想と、非常に親和性が高い。こうした発想に基づくフィクションが世間一般に広まった後の時代から顕著に使われだした言葉であろう、とひとまず予想することができる。

逆にいえば、大昔に書かれた文章に「なかったこと」というフレーズがあったとしても、現代人と同じ感情がこめられているとは限らないかもしれない。「後悔」という感情は、太古の昔から日本人(というか全人類)が抱いてきたものであるが、歴史そのものを「なかったこと」にしたい/「なかったこと」に出来るという発想が自然と湧いてくるかどうかは、また別の話である。

哲学者の東浩紀は2007年の著書『ゲーム的リアリズムの誕生』のなかで、「選択肢によってストーリーが分岐するノベルゲーム」のような感覚が、ライトノベルなどの文芸作品にも浸透している現状を分析し、ポストモダン社会において人々が「リアリズム」を感じる対象が変化していることを指摘している。「なかったこと」というフレーズに象徴される今日の我々にとって当たり前の感覚は、じつは長い歴史から見たらごく最近生まれた特殊な感覚なのかもしれない。知らんけど

フィクションにおいては[編集]

  • 漫画『めだかボックス』に登場する悪役・球磨川禊は「大嘘憑きオールフィクション」という特殊能力を持っている。本人の説明によれば、「因果律に干渉し」「現実すべて虚構なかったことにする能力」とのことである。
  • ゲーム『東方永夜抄』の3面ボス・上白沢慧音は「歴史を食べる(隠す)程度の能力」を持っている。戦いの前には「今夜を無かった事にしてやる!」という台詞を発する。「慧音(けいね)」という名前は、ドイツ語で「なかったこと」を意味する keine に由来するとも言われる。
  • 漫画『履いてください、鷹峰さん』のヒロイン・鷹峰高嶺は「未だ穢れ知らぬ乙女エターナル・バージンロード」という特殊能力を持っており、下着を脱ぐことで過去の失態をなかったことにできる。

このように、近年のフィクション作品で「なかったこと」という言葉が使われた場合、「歴史そのものを塗り替える」というニュアンスが込められていることが多い。

古い用例[編集]

「で、あなたはこの死体をどうしようとおっしゃるの?」

「隠すのです。今夜のできごとはまったくなかったことにするのです。そうしなければ、皆さんの破滅じゃありませんか。それで、幹事のCさんに伺いたいのですが、ふたりの青年はどこから連れていらしったのですか。どういう身もとの人ですか」 —  江戸川乱歩『影男』(1955年

こちらの台詞は、たんに「事実を隠蔽しよう(=事実そのものは変化できないが世間に知れ渡らないようにしよう)」と提案しているだけであり、「事実そのものを変化させよう」という近年独特のニュアンスは込められていない。

...とはいえ、その2つの発想の境界線は、常にあいまいなものではあるが。

「なかったこと」に関する警句[編集]

精神科医ジークムント・フロイトは「子供時代は、もう無い」という有名な警句を残している。筆者もこのフレーズの正確なニュアンスをはっきりとは把握していないのであるが「生まれて間もない子供時代の正確な事実を記憶している人はこの世に一人もおらず、ふとした瞬間に思い出す「記憶」は、全て現在の自分から見たバイアスが掛かっている」といった意味であろう。すべての記憶や資料は「現在」というバイアスが掛かったものである。バイアスを取り除いた完全に「純粋」な過去の事実、というものは存在しているのだろうか? そう考えると全ての過去は「なかったこと」なのである。あるのはただ「現在」だけである。

小難しい解説[編集]

哲学者の永井均は「解釈学・系譜学」という術語を用いて、過去と現在のありようについて分析している(著書『転校生とブラック・ジャック』)。

童話『青い鳥』では、チルチルとミチルが冒険を終えて帰宅すると、家の中のカゴに青い鳥がいることに気づく。では、「もとから」青い鳥はカゴの中にいたのだろうか? ――言い換えれば、「鳥がいなかった」という事実は「なかったこと」になったのだろうか?

「現在」の視点から「もともと」青い鳥がいた、という過去を素朴に信じるのが「解釈学」の立場である。「なかったこと」というフレーズは、素朴に見ればこの「解釈学」的な発想である。「鳥はいなかった」という過去を、単純に葬り去って元から「なかったこと」とするのが解釈学である。

しかし「系譜学」的な発想では、「もともと青い鳥はいなかった」という事実こそが、現在の視点での「もとから青い鳥がいた」という発想を生む原因になっていると考える。「...もともと青かったのでもなければ、ある時点で青くなったのでもなく、ある時点でもともと青かったということになったという視点を導入することが、系譜学的視点の導入なのである。...」ややこしい思考法だが、「世界線」というSF的ガジェットに慣れ親しんだ現代人であれば、それほど苦労せずに理解できるだろう。主人公が「世界線A」から「世界線B」へと飛び移ったとき、世界線Aでの出来事は全て「なかったこと」になる。しかし、そもそも主人公が世界線Aでのさまざまな出来事を体験していなければ、世界線Bに飛び移ろうと行動すること自体が起きなかったはずである。世界線Aでの出来事はすべて消えてしまって「なかったこと」になるが、ある意味で、この世界のどこかに痕跡を残している。――このように、単純な「時系列的」な発想を越えて、ことの成り行きをとらえるのが「系譜学」的な発想である。「なかったこと」というフレーズは、こうした系譜学的な射程も兼ね備えたものである。