呉巨
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呉 巨(ご きょ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。蒼梧郡の太守[1]。
生涯[編集]
最初は劉表に仕える[1]。劉備と幼馴染だったため、208年に劉表が死去して劉備が曹操に追われる身となった際、劉備は呉巨を頼ろうとしたが魯粛に止められて落ち延びるのをやめたという[1]。劉表の死後に彼が任命していた交州刺史の頼恭を追放して自立する[1]。しかし210年に孫権が家臣の歩騭を交州刺史に任命して送り出したので孫権の配下となる[1]。
しかし呉巨は孫権に対する不服従の態度をなおも見せたため、歩騭により殺害された[1]。
『三国志演義』では呉 臣(ご しん)と名を変えられており、劉表の死後に劉備が落ち延びる先の候補の一人として名前が挙がるのみである。