頼恭
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頼 恭(らい きょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
生涯[編集]
荊州零陵郡の出身[1]。はじめ劉表に仕え、交州刺史の張津が異民族の反乱で殺害されたため、劉表より後任の交州刺史に任命される[1]。ただし交州は実質的に士燮が支配していたため、頼恭は蒼梧郡太守の呉巨を頼って身を寄せた[1]。
208年に劉表が死去すると呉巨と不仲になって対立し追放され、劉備の部下になって鎮遠将軍に任命される[1]。219年に劉備が漢中王になると太常となり、220年には劉備に皇位に即位するよう勧めた[1]。
『三国志演義』では第80回に登場し、劉備に皇位に即位するよう勧めるメンバーの一人として名が挙がる。