呉夫人
ナビゲーションに移動
検索に移動
呉夫人(ごふじん、? - 202年/207年)は、中国の後漢末期の女性。孫堅の正妻。弟に呉景。子は孫策・孫権・孫翊・孫匡・女子1人[1]。呉において武烈皇后の諡号を贈られた[1]。
生涯[編集]
揚州呉郡呉県の出身。若くして両親を失ったので、弟の呉景と共に銭唐に移住した。孫堅は彼女が才色兼備と聞いて彼女に求婚したが、呉一族の多くは孫堅の人格などを聞いて大いに反対する中で、彼女は「なぜ一人の女を惜しんで災いを招こうとするのか、嫁ぎ先で不幸になっても運命なのです」と言って孫堅に嫁いだという[1]。
長男の孫策が175年に生まれているため、少なくとも175年より前には結婚したことになる。182年に孫権、184年に孫翊、年代不明で孫匡、そして誰のことか不明だが娘を1人生んでいる。孫権が後に皇帝に即位すると武烈皇后の諡号を贈られた。
202年、あるいは207年に死去した[1]。
『三国志演義』では呉太夫人(ごたいふじん)とされて207年に死去しているが、死の直前に妹の呉国太を自分の母親と思って尽くすように孫権に遺言して死去した[1]。