前橋高齢者逆走死傷事故
前橋高齢者逆走死傷事故(まえばしこうれいしゃぎゃくそうししょうじこ)とは、平成30年(2018年)1月9日朝に群馬県前橋市で発生した、高齢者運転手による死傷事故である。事故自体は当初はほとんど注目されていなかったのだが、現在ではこの翌年に発生した飯塚幸三の池袋乗用車暴走死傷事故と対比される事故となって注目されている。
概要[編集]
事故について[編集]
平成30年(2018年)1月9日朝、群馬県前橋市の県道で、当時無職のK(当時85歳)が運転していた乗用車が対向車のミラーに接触した後、反対車線にはみ出した。Kの乗用車は約130メートルを逆走し、右斜め前の路側帯を自転車で走行して通学していた高校1年生の女子生徒A(当時16歳)と衝突。Aは間もなく死亡した。さらに乗用車はブロック塀に衝突し横転し、その際にやはり路側帯を自転車で通学するために走行していた高校3年生の女子生徒B(当時18歳)にも重傷を負わせた。
群馬県警は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)容疑で、即日Kを逮捕した。
一気に注目され、裁判に[編集]
この事故は、発生当初はほとんど注目されていなかった。犯人のKは普通に逮捕されていたし、容疑者表記もなされていたからである。ところが翌年、池袋で飯塚幸三がKに勝る大事故を起こし、さらに上級国民であるという説から逮捕が見送られたことで、この事故は「飯塚と同じ高齢者が引き起こした事故」として一気に世間の注目を浴びることになった。事故を起こした時のKの年齢は85歳、飯塚は87歳でわずか2歳差であった。
Kは高齢で、既に運転が危険であって家族からも注意されていたという。
- これまでに壁や塀、他の車と接触事故は数え切れないほど起こしていた。
- 車には傷が絶えず、新年早々にも駐車のため後進していて自宅の塀に衝突した。
- 物忘れや同じ事を繰り返し話すことがあった。
- Kは自動車修理工場をかつて営んでおり、運転に自信があったとされ、事故を起こす昨秋の運転免許更新時、認知機能検査で落ちることに期待したが、かなわなかったという。
- 家族は何とかしてKの運転を止めさせようと努力を重ねてきた(Kは半年ほど前から運転中に車を車庫などに接触させる物損事故を繰り返していたため家族が運転しないよう諭していた。事故当日も運転しないよう伝え、車の鍵を隠そうとしたが家族の目を盗むようにして出発した)。
- 同居する家族が控えるよう強く伝えても、Kは隙を見ては運転し、家族が車の鍵を隠すことやタイヤの空気を抜くことまで検討していた最中だった。
そして、事故は発生した。事故の初公判は平成30年(2018年)11月、前橋地裁(国井恒志裁判長)で開かれた[1]。Kは自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の罪に問われ、Kは「どうなったか分からなくなった」と起訴内容を否認し、弁護側が無罪を主張した。つまり、飯塚と同じような主張をしたのである。
このため、前橋地検が約3カ月の鑑定留置を行ったが、地裁が改めて精神鑑定を実施。こうして約11カ月間、公判は中断した。令和2年(2020年)1月に検察側は禁錮4年6カ月を求刑し、対する弁護側は無罪を主張した。
Kは事故以前から薬の副作用などもあって、血圧低下による意識障害が起きていた。検察側も弁護側も、これを事故の直接原因とすることで一致した。裁判の争点となったのは事故を予見して運転を避ける義務と刑事責任能力の有無であり、検察側は「運転中に意識障害に陥ることを予見するのは充分に可能だった」などと訴え、弁護側は「事故の4カ月前に運転免許を更新しており、予見は難しかった」などと反論した。2人の鑑定医も「重度の前頭側頭型認知症(FTD)」あるいは「軽度の認知障害か認知症」と意見が割れた。最終的に検察側は「刑事責任能力があった」とした一方、弁護側は「事故を予見できても心神喪失状態だった」と主張して結審した。そして3月6日、前橋地裁はKに無罪判決を下した。「事故の予見は難しかった」とし、その上で「薬の副作用による大幅な血圧低下」が事故の原因だと指摘した。
Kは判決の日、車椅子に乗り、補聴器をつけて出廷していたが、「聞こえましたか」と裁判長が問いかけてもしばらく反応しなかった。何度か問われて「よく分かんないです。いや、無罪。はい、分かります」と答えたという。判決を告げられた後、傍聴席からは「人を殺してもいいのか!」と怒声が飛んだという。裁判長は「(被害者の)2人に何の落ち度もないことも事実だが、事案の真相を見誤ると同じような悲劇を繰り返すことになる。被告個人に事故の責任を課すことはできない。これは悲劇を繰り返さないための無罪判決です」と、時折声を詰まらせながら加えたという。判決を聞いた遺族は無念のコメントを告げ、控訴を望んだ。
前橋地検は3月19日、東京高裁に控訴した。控訴審の初公判は10月に決まった。
異例の事態[編集]
Kは1審で無罪となったが、その後一転して態度が変わった。自ら「有罪にしてほしい」と言い出したのである。これは異例の事態だった。
10月6日、東京高裁で初公判が開かれた[2]。すると弁護側はKの有罪を主張し、「(K被告は)人生の最後を迎えるにあたり、責任を認め罪を償い人生を終わらせたいと考えている」と述べた。K自身は福祉施設に入所しているために出廷せず、控訴審は即日で結審した。
なぜ、態度を急に変えたのか。これには理由があるという。
Kの長男Cは教育関係の仕事に就いていて、妻Dも地区の班長をしているという。実父、義父にあたるKが1人死亡、1人重傷という大惨事の事故を引き起こしたにも関わらず、無罪判決が下ったことで、周囲から「無罪はないよね」と陰口を叩かれ続けたとされている。飯塚幸三の事故で高齢者の事故は一気に注目を浴びており、しかも飯塚がその後は逮捕もされずに初公判でも無罪を主張するなど、問題が続いていたことから、Kとその家族も批判の対象になったものと思われる。そのため「無罪は加害者家族にとっても悪影響が残るだけ」であるとして、有罪主張に転換したのだという。
ただし、いくらK被告の意思があるとはいえ、1審で無罪になっている以上、新証拠が提出されない限り判決が覆ることは容易ではないとされる。また、Kは高齢で福祉施設に入所しているため、仮に有罪判決が下っても執行猶予、あるいは執行停止の可能性があり、今まで通り普通の生活を送れる可能性が高いとされる。