何定

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何 定(か てい、? - 272年)は、中国三国時代武将

生涯[編集]

最初は孫権給使(いわゆるパシリ)だったが[1]、主君に媚び諂う事のみは非常に長けていたという[2]孫皓の時代に孫休に使われていた者として上奏して楼下都尉となる[2]。さらに殿中列将となり、列侯にまで上り詰めた[1]。権力欲が激しく讒言を繰り返して多くの同僚を死に至らしめた[2]。また好きで各地から立派な犬を献上させたため、犬の値段が高騰したという[2]。さらに犬1匹に兵士一人が配され、餌となるが捕り尽くされた[2]。しかし孫皓からこれまでの悪事を罪に問われて誅殺された[2]

孫皓はこれも自分が殺した張布に似ているとして、没後に何 布(か ふ)と改名させた[2]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、46頁
  2. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P342

参考文献[編集]