佐野茂樹

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佐野 茂樹(さの しげき、1938年 - 2020年1月21日)は、新左翼活動家。第2次ブント(共産主義者同盟)の2代目議長を務めた。別名は佐伯武

経歴[編集]

1953年兵庫県立神戸高等学校に入学。同学年の樺美智子とともに自治会役員を務めた。1956年神戸高校卒業、京都大学に入学。まもなく日本共産党に入党。1957年京都府学連委員長。1958年全学連第11回大会で副委員長[1]。1957年頃から西京司鶴嶋雪嶺革共同・関西派から日共京大細胞への働きかけがあり、佐野と今泉正臣が革共同に加入した[2]。1959年共産主義者同盟(ブント)京都大学細胞の結成に参加[1]。京大が1958年12月に結成されたブントへの参加が遅れたのは、日共京大細胞の中心的活動家であった北小路敏が「ブントを取るか、革共同を取るか」長く迷ったためだが、「佐野と今泉は簡単に革共同を脱退した」という[2]

1959年に全学連中央の役員を外れ、関西で労働者対策に専念。第一次ブント崩壊後は関西ブントのリーダー[3]榎原均によると「六〇年代中期に、関西ブント関西地方委員会のリーダー、佐野茂樹は、七〇年に武装蜂起とソビエト運動を構想し、関西地方委員会に提案」したという[4]。1965年6月共産同統一委員会結成大会で中央委員(佐伯武)。1966年9月共産同再建第6回大会で中央委員。1968年2月共産同第7回大会で議長。1968年12月共産同第8回大会で副議長、軍事委員長。1969年の4・28沖縄闘争を指導。第2次ブント分裂後は分派に加わらず、個人で活動した。1970年か1971年に京大労研から除名・独立した京都大学レーニン研究会京都大学教養部戦線の顧問となった。1992年「緑の地球ネットワーク」(GEN)代表[1]中国ネパールで緑化や井戸掘り事業に取り組み、2010年頃まで事業を続けた[3]。2020年1月21日死去、享年81歳[1]

人物[編集]

  • 女性史研究者の江刺昭子によると、樺美智子の「想い人」だったとされる[5]島成郎『ブント私史』(批評社、1999年)によると、樺が「島さんは大人だから相談したいのですが、私、想いを寄せる人がいるのです…」と話しかけてきて、「Sさんです…」と打ち明けたという。島博子は「S」が佐野だと証言している[1]新開純也は2人が付き合っていたと佐野から聞いている[1]。ただし小川登清水丈夫について「彼が、演説のなかで時折見せる微笑は、なんともいえず、同性すらも魅惑させるものであった。異性(女子大生)は惚れてしまった。東大文学部の樺美智子さんも、その一人であった」と述べている[2]
  • 政治評論家の森田実は2011年12月26日の講演で佐野について語っている[6]

 彼はそのうちに私は辞めろと潮時だと言ったんですが、のめり込みまして、ついに世間をアッと言わせました赤軍派という極左グループを創設しまして。「佐野茂樹君」っていうのが今病床にあってですね。

 ちょっと危ないという話を聞いているんですけど。その男が、何年間か獄中で独房暮らしで、哲学者になって帰ってきまして。世界の最大の問題は環境破壊だと。環境破壊を直すために人生を送ろうと。家族とも全て別れ一人になりまして。京都大学で影響力があった男ですから、時々帰ってきてはカンパを集めまして、金を作っては中国の黄河の流域を旅しまして、樹木を植えたり。それではダメだっていうんで、こけーれんを植えると。苔の研究所が鳥取大学にあるのでそれを巻き込みまして、そういう努力で中国8千年の歴史の中で樹木を切り倒しても樹を植えなかったっていうんですね。戦争ばかりやっていたから。それで丸裸になって、それが土や河に流れて河が黄色くなったんですね。

 そして黄河になったんですね。しかもだんだん土砂が溜まって、今時々水が運河に流れないようになってしまったと。それが深刻な水問題生み出してたんです。そういうのを直すには緑化しかないと。それこそ死に物狂いでやってます。日本に帰ると必ず東京に来て私を訪ねて来まして、危機迫る執念の話をずっとするわけですよ。私は聞いて意見を言うだけだったですが、その危機迫る話を聞き続けて。彼はチベットにも長く住みまして、ありとあらゆることをやって、エネルギーを使い果たして病床に倒れて今起き上がれないという状況になっているんです。

著書[編集]

  • 『佐藤政府を倒せ!武装闘争と大衆路線を結合・発展させよ!――ニクソン訪中・世界革命闘争の新局面とわれわれの任務』(1971年9月)
  • 『帝国主義を攻囲せよ!――獄中論文選』(1972年)
  • 『朝鮮民族自決ー統一と日本共産主義運動の原則的任務・上』(1976年1月)

出典[編集]

  1. a b c d e f 佐野茂樹さんを偲ぶ会(東京)PDF リベラシオン社
  2. a b c 小川登「資料 存在自体がカリスマ:一つの島成郎論」『桃山学院大学社会学論集』第35巻第1号、2001年7月
  3. a b 江刺昭子「樺美智子「想い人」Sとは誰か 「闘争に没頭する人にはめったに会えない」 同級生、沈黙の余白は」47NEWS、2021年6月26日
  4. 榎原均建軍の時代」一般社団法人文化知普及協会
  5. 江刺昭子『私だったかもしれない――ある赤軍派女性兵士の25年』インパクト出版会、2022年
  6. 森田実先生講演(2011.12.26) 笹栗純夫ブログ "Sumio Column"、2012年1月18日