伏 完(ふく かん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。後漢最後の皇帝・献帝の皇后・伏寿(伏皇后)の父。妻は劉華(桓帝の娘の陽安公主)。子は他に伏徳・伏典。
琅邪郡東武県の出身[1]。侍中・屯騎校尉となる[1]。200年に董承が曹操暗殺を企てて失敗した際、伏寿は伏完に手紙を書いて曹操排除を呼びかけたが、伏完は応じないまま209年に死去したという[1]。
ただし史料によって没年が異なっており、214年の曹操暗殺の計画が露見して伏一族もろとも処刑されたとする説もある(『曹瞞伝』)。
『三国志演義』では214年の暗殺計画の露見により処刑されている。