桓帝 (漢)
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桓帝(かんてい、132年 - 167年)は、後漢の第11代皇帝(在位:146年 - 167年)。姓名は劉 志(りゅう し)[1]。
生涯[編集]
父は第3代皇帝・章帝の孫である蠡吾侯・劉翼[1]。母は堰氏[1]。146年に先帝の質帝が大将軍・梁冀によって9歳で毒殺されたため、その後釜として擁立されて即位した[1]。桓帝は梁冀の専横を苦々しく思っていたため、159年に単超ら5人の宦官と共謀して梁冀を自殺に追い込んで外戚勢力を排除した[1]。だがそれが先帝から既に台頭の兆しを見せていた宦官勢力が国政を掌握した事でもあり、国政は宦官により急速に腐敗した[1]。166年にはこれに反発した陳蕃・李膺ら清流派知識人による第1次党錮の禁も発生[1]。このような中で桓帝は翌年に崩御した。享年36。
桓帝の子供は全員娘で息子は無く、自分の時と同様に遠縁に当たる皇族の劉宏が霊帝として擁立された。
桓帝の時代は宦官を信任して結果的に後漢王朝の衰退を作り上げた時代と評価されている[1]。