伊集院 忠次(いじゅういん ただつぐ、天正10年(1582年) - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣[1]。
通称は半五郎。父は天正11年(1583年)に筑前国田尻城攻めで戦死したので、家督を相続して島津家に仕える。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは島津義弘に従って参戦し、薩摩国への逃亡にも付き従うが、豊後沖で黒田如水の番船と合戦となった際に戦死した。享年19。法名は花翁清春。家督は養子の伊集院忠助により継承された[1]。