伊阿弥宗珍
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伊阿弥 宗珍(いあみ そうちん、? - 天正20年(1592年)2月)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての畳大工の棟梁。室町幕府、織田氏の家臣として仕えた。
略歴[編集]
伊阿弥家は室町幕府に代々仕えた畳大工で、宗珍はその10代目に当たる。通称は新四郎。受領名は石見守。諱は宗勝(むねかつ)と伝わるが不詳。近江谷川の生まれだといわれる[1]。
室町幕府滅亡後に織田信長に招聘され、信長が近江に安土城を築城する際にその普請に参加し、安土城の天主閣が落成した天正9年(1581年)に信長から同年8月17日付で「受領名は石見守にすること。織田家の畳大工として以前の通り様々な税を免除すること。さらに畳大工として天下一の称号を与えること」などが認められている。信長からはかなり気に入られて腕も認められていたのか、多数の職人と工房を与えられ、職人頭にまで任命されている[1]。
信長の死から10年近くたった天正20年(1592年)2月に没し、家督は子の長勝が継承した。同じく子の家長、家次も畳大工となり、豊臣秀吉に仕えている[2]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。