伊束法師物語
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伊束法師物語(いそくほうしものがたり)とは、戦国時代の史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は徳川家康の軍師とされる伊束なる人物で、この人物は清州同盟締結の際に織田信長から家康に伊束という軍学者を紹介されて、家康は伊束を三河に連れて行き、彼から軍法を学んで側近にしたという。この著は伊束が家康に従って書き留めたものとされているので、成立年代は家康が三河・遠江を平定した永禄12年(1569年)頃の可能性がある。
別称は『伊束居士物語』(いそくこじものがたり)、『伊束岡崎記』(いそくおかざきき)、『伊束岡崎在城書記』(いそくおかざきざいじょうしょき)、『三州岡崎秀栄記』(さんしゅうおかざきしゅうえいき)、『三遠平均記』(さんえんへいぎんき)、『三河記』など多数。『三河記』を冠する史料は数多あり、これはその1つに数えられる。
内容[編集]
上下2巻。桶狭間の戦いで家康が自立し、三河・遠江の両国を平定して2か国の大名になるまでを描いている。
話は家康の父・松平広忠が叔父の松平蔵人を追放するところから始まる。広忠の死から、家康の人質時代が描かれ、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長の前に敗死し、家康は自立する。その後、家康は信長と清州同盟を結び、三河一向一揆を鎮圧し、さらに東三河を制圧する。永禄11年(1568年)末に武田信玄が駿河侵攻を開始すると、これに乗じて遠江に侵攻し、今川氏真を降伏させて三河・遠江を手中にしたところで終了している。
桶狭間は信長が義元を奇襲したものとしている。