久留島陽三
久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マルクス経済学者。岡山大学名誉教授、福山平成大学名誉学長[1]。
経歴[編集]
広島県生まれ[1]。東京帝国大学在学中の1943年12月に学徒出陣で軍に入隊。1945年12月復学[2]。1947年東京帝国大学経済学部卒業[1]。学部で大河内一男のゼミに所属し、職工農家の調査を実施[2]。ゼミ生の田添京二、大塚斌とともに学生労働問題研究会をつくり、労働組合の実態調査を実施[3]。前者は「「職工農家」に関する研究――N工場における調査を中心として」、後者は「戦後日本労働組合の動向」として大河内一男編『戦後社会の実態分析』(日本評論社、1950年)にまとめられた。1949年東京帝国大学特別研究生(前期)修了。1952年東京帝国大学特別研究生(後期)修了[1]。東大大学院で山田盛太郎のゼミに所属し、農業問題研究に参加[4][5]。1953年岡山大学法文学部講師、1962年教授[1]。1965年法学科から経済学科に移籍[6]。1978年「地代論研究」で経済学博士(名古屋大学)[7]。1978年岡山県史編纂委員会委員(近現代部会長)。1982年岡山大学経済学部長、大学院経済学研究科長。1985年岡山大学附属図書館長。1988年岡山大学名誉教授、福山大学経済学部教授[1]。1994年福山平成大学初代学長(1999年まで)[8]。
人物[編集]
大河内一男[2]、山田盛太郎[9]、横山正彦の門下生[10]。農政調査会農地改革記録委員会幹事[11]。土地制度資料保存会研究員[12]。経済理論学会、土地制度史学会の会員[6]。1963年に山田が土地制度史学会のメンバーを母体に発足させた「再生産構造研究会」に参加した[4]。
土地制度と地代学説を研究した[6]。主な論文に「古典学派における地代論の形成(一)」(『岡山大学法経学会雑誌』第7号、1955年3月)、「古典学派における地代論の形成(二)――ジェームズ・アンダァスンの地代論とその意義について」(『岡山大学法経学会雑誌』第11号、1955年4月)、「スミス地代論に関する一考察――国民経済に占める農業の地位」(大河内一男先生還暦記念論文集刊行委員会編『大河内一男先生還暦記念論文集 第3集 古典経済学の伝統』有斐閣、1966年)などがある[6]。ブレンターノおよびマルクスに即したアンダーソン地代論の理論的研究である「古典学派における地代論の形成(二)」はアンダーソン研究史上の重要文献の一つである[13]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『岡山県南部平坦農業地帯における生産力構造――興除村の構成』(土地制度資料保存会[土地制度資料保存会研究資料]、1957年)
- 『富農層の生産力構造に関する研究――岡山県南地帯における農業構成』(土地制度資料保存会[土地制度資料保存会研究資料]、1959年)
- 『地代論研究』(ミネルヴァ書房、1972年)
- 『経済原論』(有斐閣、1991年)
- 『現代岡山経済論――転換期の岡山経済』(山陽新聞社、2013年)
共編著[編集]
- 『資本論体系 第7巻 地代・収入』(保志恂、山田喜志夫共編、有斐閣、1984年)
- 『現代地域開発論――地域特性・個性の研究』(目瀬守男共編著、明文書房、1987年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 現代岡山経済論―転換期の岡山経済 紀伊國屋書店
- ↑ a b c 大河内演習同窓会編『わが師大河内一男』大河内演習同窓会、1986年
- ↑ 大河内一男「実態調査の想い出」『決定版 昭和史 第13巻』毎日新聞社、1983年
- ↑ a b 二瓶敏、矢吹満男、泉武夫「二瓶敏教授に聞く――戦後日本資本主義論争の回顧と展望(PDF)」『専修大学社会科学研究所月報』No.456、2001年6月
- ↑ 久留島陽三『地代論研究』ミネルヴァ書房、1972年
- ↑ a b c d 岡山大学二十年史編さん委員会編『岡山大学二十年史』岡山大学、1969年
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 沿革 福山平成大学
- ↑ 小林賢齊、保志恂、南克巳、鍋島力也、二瓶剛男編『山田盛太郎著作集 第1巻』岩波書店、1983年、ⅱ頁
- ↑ 金子ハルオ、鶴田満彦、小野英祐、二瓶剛男編『経済学における理論・歴史・政策――横山正彦先生還暦記念』有斐閣、1978年
- ↑ 細貝大次郎「山田先生と農地改革(PDF)」『土地制度史学』第93号、1981年10月
- ↑ 『農林水産業応用試験研究概要報告書 昭和34年度』農林水産技術会議事務局調査課、1960年
- ↑ 菊池壮蔵「アンダソン『考察』(一七七七年)のスミス批判と「国富論」増訂(一七八四年)問題(PDF)」『商學論集』第53巻第2号、1984年9月