丸毛光兼
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丸毛 光兼(まるも みつかね、天文元年(1532年) - 文禄2年2月3日(1593年3月5日))は、戦国時代の武将・大名。美濃国福束城主。正室は稲葉一鉄の娘。
略歴[編集]
父に関しては小笠原長氏で6男に当たるとも、丸毛兼頼の孫で丸毛信吉の養子になったとも、実は高瀬備前守の弟であるとも記録されていてよくわからない。名前にしても光兼ではなく長照(ながてる)とされている[1]。ただ、小笠原氏の出身だったなら小笠原長照とでも称していた時期があった可能性はある。
斎藤龍興、織田信長、豊臣秀吉と美濃を支配した大大名に仕え、福束城に2万石の所領を与えられた。文禄2年(1593年)2月3日に死去した。『美濃国諸旧記』では62歳とあるため、逆算した場合は天文元年生まれとなる。法名は善孝。
家督は子の兼利が継承した。