中島可之助
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中島 可之助(なかじま べくのすけ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣[1]。
略歴[編集]
長宗我部元親に仕えた家臣で、奇人かつ剛毅な人物で、人の下につくことを嫌って文字の上に冠して用いられる「可」の字を名前に選び、自ら可之助と名付けた[1]、と言われるため、この名前の前に名乗りがあった可能性はある。
中島が有名になったのは、織田信長への外交使者として元親に派遣されたためである。天正3年(1575年)のことといわれ、元親が長男・弥三郎の偏諱を乞うために中島を信長の下に派遣。信長は中島に向かって「元親は無鳥島の蝙蝠だ」と述べると、中島はすかさず「信長公は蓬莱宮のカンテンなり」と出まかせを言ったという。このことで信長は中島を君命を辱めざる者として褒め、弥三郎に一字を与えて、信親と名乗らせたという[1]。