両角 虎城(もろずみ とらなり、? - 永禄2年11月10日[1](1559年12月8日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。板垣信泰の子で、板垣信方の弟[1]。
官途は治部少輔[1]。受領名は信濃守[1]。天文8年(1539年)2月20日に東郡塩山向嶽禅庵に所領を寄進した[1]。法名は椿反道久禅門[1]。
この虎城に関しては不明な点も多く、玄蕃允や大蔵丞を称していたり、史料により名が異なるなど混乱している[1]。