板垣 信泰(いたがき のぶやす、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。父は板垣備中守か?[1] 子に信方、室住虎登。官途は右兵衛尉[1]。
領地は於曽にあったとされるが、このため板垣家の庶流である於曽家の当主だった可能性がある[1]。武田信虎に仕えて大永3年(1523年)に母の逆修供養を高野山引導院で行なったのが史料上の初見である[1]。大永5年(1525年)2月25日に向岳庵に薬種田を寄進[1]。また時期不明だが、御北様(大井夫人?)の命令で向岳庵に寺領を寄進している[1]。