下知状

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下知状(げちじょう)とは、鎌倉幕府及び室町幕府が所領における裁判の裁許及び安堵に関して用いた文書のことである。別名を下知如件という。

概要[編集]

鎌倉幕府の時代から用いられていたが、この文書はもともと下文を発展させた武家独自のものであった。

室町幕府の時代になるとこれが多数発給されるようになり、その初期には足利直義がよく用いている。長文になる場合は、紙の継ぎ目の裏に訴訟を扱った引付方の長官が花押を据えて保証とした。ところが、観応の擾乱で直義が不慮の死を遂げるとこの文書は一気に発給数が減少してしまい、征夷大将軍署判の裁許下知状は第3代将軍・足利義満による応永8年(1401年)のものを最後に見られなくなった。その後は課役免除などに限定的に下知状が出されている。

なお、室町幕府では征夷大将軍が幼少で就任して政治を執行する能力自体が無かった場合は、それを補佐する管領が事実上の将軍代行者として下知状を出す場合があった。