三増峠
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三増峠(みませとうげ)とは、神奈川県愛甲郡愛川町と相模原市緑区の境界にある峠である。三増峠の戦いが行われたことで有名である。
概要[編集]
愛川町の北端、旧津久井町との境にある標高253メートルの峠である。
この峠が歴史的に著名なのは、永禄12年(1569年)に武田信玄と北条氏康・北条氏政らによって三増峠の戦いが行われたことによる。この三増峠の戦いは戦国時代において最大の山岳戦と言われている合戦で、小田原城を攻め落とせずに甲斐国に引き上げる信玄を追撃した北条軍が、三増峠において補足して合戦に及んだものである。この時の戦いによる両軍の数はおよそ5万人。死者は4000人に及ぶという大規模なもので、最終的な勝利は信玄に上がったとされているが、武田軍はこの戦いで殿軍を務めた家老の浅利信種を失うなど少なからぬ犠牲を出しており、本当に武田軍が勝利したのかには異説も存在する。
現在、信玄がこの戦いの際に本陣を置いたとする場所に「三増合戦場の史跡碑」が建立されている。また、東麓には戦死した浅利の墓と浅利明神、そして戦死した両軍の兵士を埋葬した首塚や胴塚なども存在する。