ムスタイーン

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ムスタイーン836年 - 866年)は、アッバース朝の第12代カリフ(在位: 862年 - 866年)[1]

生涯[編集]

第8代カリフ・ムウタスィムの孫にあたる[1]。862年に先代のムンタスィルが死去した際に後継者指名が無かったとしてトルコ軍人の上層部から擁立された[1]。しかしこのため、トルコ軍人に頭が上がらず、首都のバグダードでアラブ軍とトルコ軍が争い、これに対して市民にトルコ軍への服従を促したという[1]。また、自らのカリフ位を安定させるために先代の弟であるムウタッズを監禁した[1]

863年からはキリスト教徒の粛清を開始し、バグダードは刑務所が破壊されて荒廃してゆくなどその治世は支離滅裂[1]。結局、ムスタイーンを擁立したトルコ軍人らからも見限られ、866年にムウタッズを擁立したトルコ軍人らによって暗殺された[1]。享年31。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小和田『世界帝王事典』P88

参考文献[編集]