ベニグノ・アキノ3世

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ベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世Benigno Simeon Cojuangco Aquino III, 1960年2月8日 - 2021年6月24日)は、フィリピン政治家。第15代フィリピン共和国大統領コラソン・アキノ元大統領と、ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員の唯一の息子である。テレビの司会者で女優のクリス・アキノは妹。通称はノイノイ(Noynoy)。

来歴[編集]

タルラック州の副知事であったベニグノ・アキノ・ジュニアコラソン・アキノの子としてマニラで生まれる。父は長期独裁政権を築き上げたフェルディナンド・マルコス大統領の政敵であったため、民主化活動のために1983年に亡命先のアメリカから帰国した直後にマニラ空港において暗殺されている。母親は夫の遺志を継いで、1986年に「ピープルパワー政変」(民衆の力)と称される反マルコス運動で独裁政権を崩壊に追い込み、自ら大統領に就任してフィリピンの民主化を推進した。

ベニグノは民間企業の副社長などを経験した後、1998年から2007年の間に下院議員を3期にわたって務め、2007年に上院議員に鞍替えして政治家としてのキャリアを積み重ねた。2009年に母が死去したため、2010年の大統領選挙に出馬して両親の清廉なイメージを武器にして汚職撲滅や政治の浄化などを訴え、対抗馬のジョセフ・エストラーダらに圧勝した。就任後は安定した政権運営を行い、フィリピンを東南アジアにおいて屈指の経済成長国に押し上げた。2014年には政府と長年にわたり戦闘を続けてきたイスラム最大勢力のモロ・イスラム解放戦線(MILF)と包括和平に合意。これが後にミンダナオ和平となった。一方、外交においては南シナ海の領有権をめぐって進出を強める中華人民共和国と対立し、同海域での中国の主権主張は国際法に違反するとして、2013年国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所に手続きを申し立てている。しかし、中国の主張を退ける判断が出たのはベニグノが退任した直後の2016年7月であった。

2021年6月24日、腎疾患により、マニラで死去した。64歳没。

栄典[編集]