ピーター・ディアポロス

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ピーター・ディアポロス英語:Peter Diapoulos、通称:ピート・ザ・グリーク(Pete the Greek)、1932年 - 2003年)は、ギリシャ系アメリカ人のギャング。コロンボ・ファミリーの一派であるギャロ・グループのメンバーで、ジョーイ・ギャロのボディガード。身長は約1フィート9インチ(約175cm)で、がっしりとした体格をしていた[1]

経歴[編集]

1932年[2]ブルックリンに住むギリシャ系移民の家庭に生まれた[1]。1939年頃[3]、Public School 179に通っていたときにジョーイ・ギャロと初めて出会い、2人は友人となった[1]。1960年頃にプロファチ・ファミリーに属していたローレンス・ギャロ(1968年に癌で死去)と弟のジョーイ・ギャロがボスであるジョゼフ・プロファチに対して反乱を起こした。ディアポロスは抗争中の1961年頃にギャロ・グループのメンバーとなった[1]。1963年にジョゼフ・コロンボがファミリーのボスになったことで抗争は終結したが、1971年4月に刑務所を出所したジョーイ・ギャロはコロンボとコロンボが設立したイタリア系アメリカ人公民権同盟を攻撃し始めた。1971年6月にコロンボはジェローム・ジョンソンという黒人に銃撃されて昏睡状態に陥り、そのまま1978年に死去した。獄中で黒人ギャングと関係を持っていたギャロがコロンボ銃撃を仕組んだと噂されたが、ディアポロスはこれを否定している[1]

1972年4月7日未明、ジョーイ・ギャロは新妻のシーナ・エサリー、ボディガードのディアポロス、ディアポロスのデート相手のエディス・ルッソ、妹のカルメラ・フィオレロ、娘のリサ・エサリーとマンハッタンリトルイタリーにあるレストラン「ウンベルトズ・クラム・ハウス」で43歳の誕生日を祝っている最中、何者かに銃撃されて殺害された。ディアポロスは左腰を銃撃されて倒れたが、一命を取り留めた[4]。ディアポロスは起き上がった後、車に向かって走り去る2人組に向かって拳銃を撃ち、彼らも撃ち返してきたという[1]。装填された25口径の拳銃の所持で起訴されたが、証言台で銃の使用を認め、銃はギャロから渡されたものだと主張した。銃撃戦後に弾の入っていない銃を所持していたとして、1972年9月28日にニューヨーク州高位裁判所で軽犯罪法違反の有罪判決を受け[5]、同年11月10日に禁固1年を言い渡された[3]。銃刀法違反の裁判ではあまりに速かったためギャロ事件の犯人が誰かは分からないと証言したが、ニューヨーク・タイムズのインタビューや自著ではカーマイン・ディビアーゼ(ソニー・ピント)が犯人だったと主張している[1]証人保護プログラムに入ったジョゼフ・ルパレッリ(ジョー・ペッシュ)は、ギャロ事件において自身とフィリップ・ガンビーノ(ファット・ファンギ)が交通を妨害し、ディビアーゼと他2人がギャロを銃撃したと証言したが、ギャロ事件で逮捕・起訴された者はおらず、事件は未解決となっている。

1975年7月7日のニューヨーク・タイムズに掲載された独占インタビューによると、組織犯罪の時代に様々な犯罪行為に手を染め、証券盗難、労働組合搾取、ギャンブルなどで大金を稼いだ。1年間の服役後にギャロ・グループに戻ったが、リーダーのアルバート・ギャロが服役中に「家族の面倒を見なかった」こと、コロンボ・ファミリーに殺されたジョーイ・ギャロの仇を取るための行動を起こさなかったことなどから、ギャロ・グループ、特にリーダーのアルバート・ギャロに幻滅するようになっていた[1]。同年10月の同紙の記事によれば、15年間ギャロ・グループのメンバーであったが、最近離脱した[6]。1976年1月にスティーヴン・リーナキスとの共著『六番目のファミリー』をダットン社から刊行し、マフィアでの生活やギャロ事件についての詳細を明らかにした[2]。1975年7月時点では証人保護プログラムに入っていなかった[1]。正確な時期は不明だが、ニコラス・ビアンコの裁判で証言が公開された1977年以降は証人保護プログラムに入り、その後の消息は不明である[2]

2003年に死去した[7][8]。アメリカ退役軍人省の記録によれば、アメリカ陸軍の伍長で朝鮮戦争に参加した「ピーター・ディアポロス」という人物は、1932年10月17日に生まれ、2003年6月8日に死去した[9]

『アイリッシュマン』[編集]

チャールズ・ブラントのノンフィクション作品『アイリッシュマン』によると、フランク・シーランラッセル・ブファリーノの命令で自身がジョーイ・ギャロを殺害したと主張している。ブラントはディアポロスの著書『六番目のファミリー』からギャロが自身の誕生日パーティで「イタリア系アメリカ人公民権同盟」のボタンを付けていたブファリーノに生意気な口を利いてシーランになだめられるという一件があったという記述をとりあげ、ギャロ殺害がシーランの犯行だと断定できる材料の1つだとしている[10]。しかし、シーランの証言はディアポロスの法廷証言や著書、ギャロの家族や情報提供者の証言などと複数の矛盾点がある[11][12]。ブラントの本を原作としたマーティン・スコセッシ監督の映画『アイリッシュマン』(2019年)では、ニコラス・クリサン(Nicholas Chrysan)がピート・ザ・グリークを演じている。

著書[編集]

  • Peter Diapoulos, Steven Linakis. The sixth family. New York, E. P. Dutton, 1976.

出典[編集]