ハロルド・ブラウン
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ハロルド・ブラウン(Harold Brown、1927年9月19日 - 2019年1月4日)は、アメリカ合衆国の政治家・元国防長官。
略歴[編集]
アメリカ・ニューヨーク出身。コロンビア大学を卒業後、カリフォルニア大学の研究所で核兵器などを研究した。1965年から1969年にかけて空軍長官、ジミー・カーター大統領の時代である1977年から1981年にかけては国防長官を務め、在任中の1979年にソ連との間に第2次戦略兵器制限条約(SALT2)の調印にこぎ着けるが、アメリカ議会が批准を拒否したため実現には至らなかった。同年のイランのテヘランで起きたアメリカ大使館人質事件においては救出作戦に失敗した。
2019年1月4日、アメリカ西部カリフォルニア州の自宅で膵臓癌により死去した。91歳没。