ホー・チ・ミン

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ホー・チ・ミン(ほー・ち・みん、ほーちみん、胡志明)とはベトナム革命家。ベトナム建国の父。

概要[編集]

1890年、ベトナム中部に生まれる。本名は阮必成。1919年フランス社会党に入党した後、フランス共産党の成立に尽力する。1923年にはソビエト連邦に渡るなどして共産主義者になり、1945年にはベトナムの蜂起を指導(ベトナム八月革命)し、当時フランス領インドシナに進駐していた日本軍による傀儡国家であるベトナム帝国を転覆し、ベトナム民主共和国を建国した。しかし、1946年にこれを認めないフランスと戦争が起こるが、(第一次インドシナ戦争)1954年にはフランスが撤退し、ベトナムの成立を認めるという形でジュネーブ協定が締結され、フランス軍はインドシナ半島から撤退した。だが、西側諸国の盟主であるアメリカは共産主義の拡大を快く思わず、南側に成立していた南ベトナム共和国を支援するという形で北ベトナム(ベトナム民主共和国)を攻撃。(ベトナム戦争[1]しかし、南ベトナム解放民族戦線(通称ベトミン)の協力もこじつけたことやゲリラ戦などにより、戦争は北ベトナム側有利で続き、1973年にはアメリカ軍が撤退し、1975年には南ベトナム共和国の首都であるサイゴンが陥落。南ベトナムは降伏、北ベトナムが勝利し、南北ベトナムの統一が行われた。

死去[編集]

ベトナム戦争中の1969年に心臓発作で死去。享年は79。なお、サイゴンが陥落したときに、サイゴンはホーチミンの活躍を表してホーチミン市と改名された。

名前[編集]

現在知られている名前「胡志明=ホーチミン」は筆名である。本名は阮必成。過去には、胡志明の他に、阮愛国という名前も使用していた。

注釈[編集]

  1. アメリカはジュネーブ協定を不履行のまま攻撃を開始し、最初は空爆だけだったが、劣勢になるに連れてナパーム弾などの破壊力が高い兵器を投入するようになった。