ニシキゴイ
ニシキゴイ | |
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分類 | |
界 | 動物界 |
門 | 脊索動物門 |
亜門 | 脊椎動物亜門 |
綱 | 硬骨魚綱 |
目 | コイ目 |
上科 | コイ上科 |
科 | コイ科 |
亜科 | コイ亜科 |
属 | コイ属 |
種 | コイ |
品種 | ニシキゴイ |
名称 | |
学名 | Cyprinus rubrofuscus var. "koi" Linnaeus,1758 |
和名 | ニシキゴイ(錦鯉) |
英名 | Koi ['kɔɪ] nishikigoi |
保全状況 |
ニシキゴイとは、コイの改良品種である。
概要[編集]
日本の国魚で、新潟県の県魚[1]、長岡市と小千谷市の「市の魚」である[2][3]。
通常は20~30年ほど生き、「花子」という個体は226年も生きたと言われている[4]。
当初は「色鯉」「花鯉」「模様鯉」「変わり鯉」などの名前で呼ばれていたが、阿部 圭が「これはまさしく錦鯉だ」といった事から錦鯉と呼ばれるようになった。
ニシキゴイの歴史[編集]
新潟県古志郡の二十村郷[注 1]は、交通の便が悪く、豪雪期になると他の地域と連絡が取れなくなり、食糧品の搬入・確保が困難だった。
そのため、冬の食糧として棚池でマゴイが飼われており、そのマゴイが突然変異を起こし、赤や黄色の鯉が生まれた。その色違いのコイを交配されて、ニシキゴイが誕生した[4][5]。
1914年に東京市の上野で開催された万国博覧会で錦鯉が「越後の変わり鯉」として紹介され、全国的に知られるようになり、1938年にはアメリカの博覧会に出品された[4]。
一時期は第2次世界大戦の影響で養殖業者が減少したが、数少ない親魚を元にして再興し、1965年に日本国内でニシキゴイがブームになった[4]。
2006年10月23日、中越大震災の影響で、家や牛舎、錦鯉の養殖池が崩落し、道路が寸断されるなどの影響を受けた。
中越大震災で孤立した集落が助け出された後、ヘリコプターを使って約2200匹ものニシキゴイも助け出された。
2014年10月23日、中越大震災から10年目の節目に復興の象徴として、長岡市と小千谷市は「市の魚」としてニシキゴイを指定した[3]。
近年は、世界中に普及するようになった。
主な品種[編集]
現在は100以上もの品種が存在している。
- 紅白
- 「御三家」の一つ。白地に赤い斑紋がある[4]。
- 大正三色
- 「御三家」の一つ。大正時代に誕生した。「ニシキゴイ」という名前は大正三色が出来てから誕生した。白地に赤い斑紋があり、まとまった黒い模様がある[4]。
- 昭和三色
- 「御三家」の一つ。白地に赤い斑紋・黒い模様がある。黒い模様は、大正三色よりも多い。胸鰭の付け根に黒い斑紋がある[4]。
- 移りもの
- 体色が2色のみの品種。白と黒の「白移り」、赤と黒の「緋移り」、黄色と黒の「黄移り」などがある。
- 丹頂
- 丹頂のように地は白色で、頭に赤い斑紋がある。
- ヒレナガニシキゴイ
- ニシキゴイとヒレナガゴイを交配されてできた品種。
放流[編集]
ニシキゴイが河川や池に放流されるケースが存在する。
放流すると貝類や水棲昆虫、水草を食べたり、水を巻き上げて濁ったりして、生態系に影響はある。
然し、自然の池沼ではなく、人が管理している池であれば問題はない。
脚注[編集]
- 脚注
- 出典
- ↑ “新潟県のシンボル”. 新潟県ホームページ (2022年11月4日). 2023年9月28日確認。
- ↑ “市の魚「錦鯉」”. 長岡市 (2023年7月19日). 2023年9月28日確認。
- ↑ a b “「錦鯉」を市の魚に制定しました”. 小千谷市ホームページ (2014年10月23日). 2023年9月28日確認。
- ↑ a b c d e f g “にいがたの錦鯉”. 新潟県ホームページ (2020年5月21日). 2023年9月28日確認。
- ↑ “【長岡】越後長岡百景の「74 錦鯉発祥の地(山古志)」を紹介します”. 新潟県ホームページ (2019年3月29日). 2023年9月28日確認。