ゲームセンター

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ゲームセンター(「ゲーセン」とも略される。Game Center)とは、アーケードゲーム筐体を用いて顧客に遊戯を提供する業種のことである。

歴史[編集]

この節では日本のゲームセンターについて解説する。

初期[編集]

ゲームセンターの始まりは戦前にまで遡る。テレビすら存在しないこの時代、ビデオゲームなどというものはなく、スマートボールやパチンコが主体であった。その後、設置されたものとしては、ビリヤードダーツが普及していなかったために、「賭場」でもあったし、中国人の間で麻雀がコミュニケーションの場であった。
いわゆるエレメカと呼ばれる、画面を使用せずに機械仕掛けで動作する筐体だった。なお、1965年にプライズゲームが誕生した。一方、1960年代末に、カジノスロット等とは違い、景品への交換や換金が出来ず、純粋なアミューズメントとしてのメダルゲームが誕生した。

多く見られたアナログゲームとしては、決められたコースをハンドルと連動した車を操作して走らせるドライビングゲーム。ネズミにライトを装置し、光った方向に銃を向けて撃つ「チューハンター」。球を弾いて盤面を回転する穴の中に上手く入れる「月面旅行ゲーム」ゲーム。「はい・いいえ」の選択肢に回答すると未来の職業が分かる「職業診断ゲーム」。鉄の棒を当てないように輪をくぐらせる「イライラ棒」みたいな「東海道五十三次ゲーム」などがあった。なお、このようなゲームが置かれていたデパートには、100円を入れるとジオラマを二周する鉄道模型が設置されており、乗ると振動する遊具が置かれていた。

ビデオゲームの誕生[編集]

しかし、ゲームセンターに転機が訪れる。ビデオゲームの誕生である。1971年アメリカで『コンピュータースペース』というゲームが誕生する。その後、1978年タイトーが『スペースインベーダー』を稼働させると、これが社会現象にもなる大ヒットとなる。あまりの人気のため、プレイに必要な100円玉の需要が急速に高まり、急遽日銀が増発したと日経新聞に書かれるほどだったという[1]。その後シューティングゲーム(STG)が多数誕生する。

シューティングゲームと言えばハドソンの『スター・ソルジャー』や他メーカーの『ハレー・ウォーズ』。日物の『テラクレスタ』。データイーストコアの『ダーウィンシリーズ』、カプコンの『ドラゴンスピリット』が有名だが。なんといってもタイトーの『ゼビウス』を抜きには語れない。ゼビウスは一大ブームを築き、手製の攻略本まで出たという。シューティングゲームはやがてどんどん難易度が上がり、東亜プランの『達人』は、中ボスがラスボス並みの硬い敵だった。

シューティングゲームが飽きられるころソビエト連邦からやってきた『テトリス』がブームとなり、落ち物パズルの時代が幕を開ける。その他目立ったところでは、車型筐体の『アウトラン』である。落ち物パズルには類似品として『コラムス』が稼働している。


黄金時代・対戦格闘ゲーム[編集]

1985年UFOキャッチャーが稼働する。この頃になると、STGがインカムが稼ぎにくい関係上勢いを失っていく。しかし、1991年に、ストリートファイターⅡ(ストⅡ)をカプコンが稼働させると、スペースインベーダーの稼働ぶりの大ヒットとなり、再び社会現象になる。その勢いはストリートファイターのみならず、対戦格闘ゲームというジャンル全体の人気に波及し、ゲームセンターは多種多様な格ゲーで溢れかえった。しかも、格ゲーは対戦ゲームのため、客がいれば、負けた側が再度クレジットを投入しなければならないため、回転率が良かったこともアーケードゲームに適していた。

また地味な所ではクイズゲーム。アダルト向けに『野球拳』ゲームが登場した。

対戦格闘ゲームも後半になると冗談みたいな作品も出てきて『大江戸ファイト』などその最たるものであろう。他には宗教を取り扱ったシューティングゲーム『ずんずん教の野望』などは世相を反映してると言えなくもない。

格ゲーブームの収束・ビデオゲームの衰退[編集]

ただ、この特性のため、初心者に対してのお断り体質が強く、2000年頃に格ゲーブームは収束した。この後、暫くの間格ゲーは新作が極端に少ない冬の時代を迎えることになる。これにより、ゲームセンターのビデオゲームの収益性が悪化しまた、オンラインゲームが一般へ普及したことにより、徐々にUFOキャッチャーなどのプライズゲームやメダルゲームが増加し、ファミリー層向けに転換していくことになる。

なお2000年代中盤に生き物を使ったクレーンゲームが登場する。最初は金魚ぐらいだったのが次第にエスカレートして伊勢海老が登場するまでに至る。その際掴み損ねて触覚の折れた伊勢海老が出てくるなどして動物愛護上の問題となり高級食材のクレーンゲームは廃れた。

現在・これからのゲームセンター[編集]

「ワンコインで運営しているため、コスト高に対応できない」などといった不利な条件もあり、オンラインゲームや娯楽の多様化によりゲーセンに逆風が吹いているという風評もあれば、「わざわざ足を運ぶ人が減った」ということで「ゲームセンターは苦境に陥っている」という話もある。
しかし、ビデオゲームが完全に消滅したわけでない。 「ダンレボ」の別名で知られる「Dance Dance Revolution」や「太鼓の達人」など、音楽ゲームなどは大型筐体でのゲーセンならではのゲーム体験ができ、しかもかつてのボウリング場のように広い敷地を必要としない。「ゲームセンターは苦境に陥っている」と広く云われているが、ゲームセンターでしか出来ない体験、例えば「家庭用では再現不可能な大型筐体によるゲーム体験」「カードを交えたゲーム[2]」「ゲームセンター内のコミュニティ」など家庭では不可能であり、「ゲームセンターにしかできない」ことがある。対戦型格闘ゲームも「同じゲームセンターにいる」ためにタイムディレイが問題にならず、ピンボールのような「筐体あってこそ」のゲームもある。
「後期高齢者のジジババと孫世代の中坊が、真剣勝負できる」のがゲーセンであり、社交ダンス(ボールルームダンス)ほど間口は狭くなく敷居も高くないので、「社交場」としての機能は失われてはいない。囲碁や将棋ほどルールもややこしくはなく、老人施設と幼稚園と小中学校が隣接していたら万全である。
ただしパチンコ屋とダンスホールは風俗営業なので、法制上の壁がある。両替のカウンターにはロッカー風の若い女の子が座っていたりするが、現在の制度だと「風俗のおねぇさん」になってしまう。eスポーツの振興のために、規制を解除あるいは緩和することを考えてもいいと思うが、いかがか。「SHOOT AWAY PRO」なんかはイケそうに思う。
そんなわけで、今日もゲームセンターに行く人がいる限り、ゲームセンターは営業し続けるであろう。

関連項目[編集]


関連作品[編集]

  • 『TRON』
  • 『マタギガンナー』

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. https://fu1to.i-ra.jp/e124307.html タイトー社員へのインタビュー 2024年1月22日閲覧
  2. 艦これアーケード等が挙げられる