イオ・ミン・ペイ
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イオ・ミン・ペイ(Ieoh Ming Pei、1917年4月26日 - 2019年5月16日)は、中国広東生まれの『プリツカー賞』を受賞した中国系アメリカ人の建築家。「I.M.ペイ」(I.M.Pei)と記されることが多い。「幾何学の魔術師」と言われる。アジア系アメリカ人では、最も有名で最も成功した人物の一人とされる。作風は切り取られた幾何学的デザインと保守性が特徴である。
概要[編集]
中華民国(当時)の広州市出身。上海や香港で育ち、1930年代にアメリカに渡米し、ハーバード大学で建築学修士号を取得する。ニューヨークの高層建築の設計などを手掛け、代表作には首都ワシントンのナショナル・ギャラリー東館を1978年に、フランス・パリのルーブル美術館のガラスの「ピラミッド」を1989年に手掛けている。日本では滋賀県甲賀市の「MIHO MUSEUM」を設計している。
1983年には建築界の最高峰と謳われるプリツカー賞を受賞し、1989年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。
2019年5月16日、ニューヨークの自宅で死去した。102歳没。
経歴[編集]
- 1917年4月26日、中華民国(当時)の広州市に生まれる。父は裕福な銀行家「ツーイー・ペイ」[1]。母「リエン・クン」から中国文化、祖父から儒教を学んだ。
- 1918年、孫文政権への資金援助を断ったため、危害の心配が生じて家族はイギリス領(当時)の香港に逃れる。父より母と親密で、母は仏教の瞑想にしばしば誘う[2]。
- 1927年、上海に移住する。プロテスタント系ミッションスクールのセント・ジョンズ・ミドル・スクールに通学する。この頃、ハリウッドの映画、特にバスター・キートン、チャールズ・チャップリンの映画を好んだ。聖書やチャールズ・ディケンズの小説を読む[2]。
- 1935年、ペンシルベニア大学建築学科を経て、マサチューセッツ工科大学(MIT)入学[3]。
- 1940年、MIT卒業
- 1946年、ハーバード大学デザイン大学院で建築家グロピウス、マルセル・ブロイヤーに師事、建築修士号を修得。モダニズム建築を学ぶ。グロピウスの設計事務所に勤務。
- 1948年、不動産開発会社ウェブ&ナップ社(Webb and Knapp)の設計部門代表となる。
- 1955年、ニューヨークに建築設計事務所I.M.Pei & Associatesを設立。ウェブ&ナップ社を主なクライアントとする。
- 1965年、ジョン・F・ケネディ図書館の設計に着手。
- 1966年、建築設計事務所をI.M.Pei and Partnersに改組。
- 1979年、アメリカ建築家協会金賞、アメリカ芸術・科学アカデミー建築部門金賞受賞
- 1983年、プリツカー賞受賞[4]。
- 1989年、建築設計事務所はPei Cobb Freed and Partnersとなる[5]。
- 1988年、レジオン・ドヌール・シュバリエ章(フランス)を受賞。
- 1989年、高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)受賞[6]。
- 1994年、中国の同済大学の名誉博士号を得る。
- 2019年5月16日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で逝去した[7]。102歳。
作品[編集]
- 1963年、東海大学路思義教堂(台湾) モダニズム建築を台湾に導入した最初の作品
- 1967年、国立大気研究センター(米国コロラド州ボルダー)
- 1972年、ポール・メロン美術センター/ザ・コート・スクール(米国コネチカット州)
- 1973年、ジョン・ハンコック・タワー(米国)
- 1978年、ナショナル・ギャラリー・オブ・アーツ東館(米国ワシントンD.C.)
- 1979年、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ図書館(米国ボストン)
- 1982年、フラグラント・ヒル・ホテル(北京)
- 1986年、ファウンテン・プレイス
- 1989年、モートン・H・メイヤーソン・シンフォニー・センター(米国ダラス)
- 1989年、クリエイティブ・アーティスツ・エイジェンシー本社(米国ビバリーヒルズ)
- 1989年、ル・グラン・ルーヴル(フランス・パリ) ルーヴル・ピラミッド
- 1990年、中国銀行香港支店ビル(香港)
- 1997年、MIHO MUSEUM(日本、滋賀県)
- 2004年、ドイツ歴史博物館
- 2006年、蘇州博物館
MIHO MUSIUMによる紹介[編集]
参考文献[編集]
- ↑ I.M. Pei
- ↑ a b Carter Wiseman(1990):"I.M. Pei: A Profile in American Architecture",Harry N. Abrams,ISBN-10: 0810937093
- ↑ イオ・ミン・ペイ高松宮殿下記念世界文化賞
- ↑ The Pritzker Architecture Prize
- ↑ I. M. Pei の二つのチャペル
- ↑ 受賞者一覧高松宮殿下記念世界文化賞
- ↑ I.M. Pei, Master Architect Whose Buildings Dazzled the World, Dies at 102New York Times、2019年5月16日