ささやき戦術
野球におけるささやき戦術(ささやきせんじゅつ)とは、捕手が打者に囁きかけることで打者を錯乱させる戦術のこと。日本プロ野球では野村克也と達川光男のそれが広く知られている。
概要[編集]
日本におけるささやき戦術の先駆者は日比野武または山下健とされている。
野村克也の戦術[編集]
上記の彼らから影響を受けた野村克也は、「次は頭にいくでぇ」「今度こそ頭だぞ」「当たったら痛いだろうナァ」などといった直接的な脅し(当時野村が所属した南海のライバルであった阪急・西本幸雄監督の怒りを買いお蔵入りとなった)や相手打者の私生活(わざわざ各地のクラブに出向いて、情報収集に励んだという)をささやき、集中力を奪った。
白仁天や大杉勝男、張本勲などささやきに滅法弱い選手は多かったが、王貞治、長嶋茂雄、榎本喜八、高井保弘には通用しなかった。張本は後年「私の現役時代にもね、一人いたんですよ。たちの悪いのが(野村克也)」「空振りのふりをしてバットでガツーンと叩いてやりましたら、もう二度と(ささやき戦術を)やらなくなりましたけどね」と語ったが、野村は著書で「張本が繊細すぎて時間がかかりすぎるからやめた」としている。
達川光男の戦術[編集]
広島東洋カープ一筋の達川光男は野村と対照的に、「今日わしらに勝ったあと飲みに行くんか」と全く野球と関係のない話を振ったり、わざと配球を教えることで打者を惑わせることを得意とした。
達川は池山隆寛とプロ野球珍プレー・好プレー大賞(2000年11月10日放送)で共演した際、現役時代に池山に対して「次の球は危ないところ(インコース)使わせてもらうけぇ、気をつけとけ」と予告したエピソードを例として挙げた。達川は「池山くらいの打者になると、厳しいところを攻めないと必ず打たれますから、常識的に行かせて貰いました」と述べている。池山もこの達川の言動が事実であることを認めており、仕掛けられた数は「1回や2回ではなく、数えきれない」とのこと。一方で、大洋がある試合で「達川無視作戦」(「絶対喋るな! 挨拶からするな!」とミーティングの段階から選手に徹底させた)を決行した(MSNでの達川のコラム「モノが違いますね」によると、これは加藤博一が提案したもの)際には「お前ら、どうなっとるんじゃ」と困惑するほどペースを掴めなくなった。
1984年の日本シリーズで阪急を下し日本一に輝いた際、達川は広島ローカルの特番で以下のように語っている。
「ささやき始めるとね、弓岡敬二郎なんか『達川さん、黙ってくださいよー』怒ってね。今井雄太郎と山沖之彦は乗ってくるんですよね、すぐ。まぁ軽い男ゆうたら失礼ですけどね。ホント軽い男なんですけどね。今井は、北別府だったんですけどね、1球振ったんですよ。『あ、今井さん、バッティング練習していないのになかなか当たるじゃないですか』言うたら『ほうじゃろうがぁ』言うから『あぁすごいですね。じゃあスライダーはどうですか』言うたら空振りしたんですよ。『スライダーは打てないですねぇ』ほいでツーナッシングなったんですね。『じゃもういっちょスライダー行きますよ。いってくださいよ』言うたら、空振り三振しましてね」
「で、昨日(第6戦)なんですけど、山本和男いうのがいるんですが。ま、9回で5点差あって2アウトだったから、打つ気なかったと思うんですが、山沖に『おまえ打つなよ』言うたら『いや、打ちますよ』言うから『打つなや、わりゃ何言いよんなら! 山本和さんは女房も子どもも一人おるのに、おまえおるまぁが。打つなよ』言うたら『はあ、そうですか』言うて三振しましたけどね。まぁ、言わんでも三振はしとったと思うんですが」