MediaWikiサイトにおける一行記事の扱い

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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MediaWikiサイトにおける一行記事の扱いでは、MediaWikiのシステムを利用するウィキサイトにおいて、一行記事がどう扱われているのかを解説する。

概要[編集]

MediaWikiを筆頭として、ウィキシステムは自身の書いた記述を誰か見知らぬ他者が加筆してくれるというメリットがある。それゆえ、一部の利用者(多くは編集経験の少ないライトユーザー)は、たとえ自分が一行記事を立てたとしても他の利用者がどうにか書き加えてくれるだろうと甘い考えをもって一行記事を乱立する場合がある。しかし、一行記事を立項するのと、それに加筆を加えるのではあまりに労力が違いすぎて、よほどアクティブユーザーに満ちた大手ウィキ(⇔過疎ペディア)でなければすぐに一行記事にあふれたつまらないウィキになってしまうため、規制するウィキも少なくない。または、一行記事は情報源にならないので必要ないというウィキサイトも多い。

特にこれは閲覧者が圧倒的に多いサイトや、ユーモアを求めるサイトに顕著であるといえよう。

そもそも一行記事って何?[編集]

殆ど文章のないページのこと。一般にはよくあるサイズのモニターで見たときに一行になってしまう記事の事を指す。

なお、この記事の筆者は「端末を選べば(例えば携帯電話で閲覧すれば)2行、もしくはそれ以上になることもあるんだから「一行記事」という名前は不平等だ!改名しろ!」のような指摘は受け付けない。これはあくまで多くのMediaWikiサイトで慣例的にこの単語が用いられているため、それに倣っているだけであるからだ。

サイト別の取り扱い[編集]

この節では各サイトごとの一行記事の取り扱いを記す。

ウィキペディア日本語版[編集]

ウィキペディアは分野ごとにスタイルマニュアルが厳格に定められていて、その形で書くことが方針化されている。つまり、ウィキペディアでは一行だろうがなんだろうが、そもそも自己流に記事を書くこと自体タブーな行為なのだ。なんなら荒らし行為にもなる。

アンサイクロペディア日本語版[編集]

アンサイクロペディアは厳しい世界なので、一行だろうがなんだろうがユーモアがなければ容赦なくシスオペに削除されてしまう。しかし逆にいえば、万人受けするユーモアを含ませればどんな体裁でも記事を立項することが許されるということでもある。例えば、ニヒリズムの記事に至っては、一行どころか文字ひとつすらないがユーモアにあふれているので、長年アンサイクロペディアの名物記事として崇められる存在となっている。

エンペディア[編集]

ゆるさが売りのここエンペディアでは、現在特に一行記事の立項を禁ずるという方針はない。また、ウィキペディアとは違い「スタブ(記事未満)」という概念は存在しない。[1]しかし、利用者によっては一行記事をよく思わず、咎めることも無いわけではないし、その行為を禁止する規則もまたあるわけではない。なお、過去にはこのように、短い記事の立項に制限を設けようと何度か議論されたことがある。

また、エンペディアはアンサイクロペディアのようなユーモアも積極的に取り入れていこうという方針なので、例えば「ファイトー!」のような全力でユーモアに走った一行記事もある。

Tanukipedia[編集]

「自創作の設定を投稿する場所である」という特性上、見知らぬ誰かが加筆してくれると言うことは基本的には期待できないため、あらかじめある程度の内容が書かれていないと「無内容の記事」として削除される。また、ウィキペディア同様にスタイルを守ることが奨励されているため、そのような記事の濫造は荒らし行為と見なされることもあり得る。

エダペディア[編集]

300Bを切っていたら削除される。

いろいろな意見[編集]

このセクションでは、一行記事によせられる賛否両論さまざまな意見を列挙する。

  • 一行のためにいちいちページを開かされるのは苦痛である。一行の分量ならばまとめて一覧にしてほしい。
  • そもそも本物の百科事典でも一行レベルの記事はそれなりにあるのだから、この手のサイトに一行記事があることはおかしなことではない。
  • それなりにMediaWikiの編集に慣れてる人であっても、記事を一から立てるのと既存の記事に書きたいことを書き足すのでは労力がまるで違う。一行でもすでに記事が立っているとやりやすい。
  • マイナーな国のアーティストは日本でも語れる人が少なく、情報もないので一行記事もやむをえない。

脚注[編集]

  1. 1行記事専用の「エンディクショナリー」もあるにはある。

関連項目[編集]