黄金律

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黄金律とは、カルトの行動原則のひとつであり、「己の欲せざることを人に施すこと勿れ」の拡大解釈によるテロ行為である。

概要[編集]

戒律は「戒」と「律」からなり、「罰則はないけど、なるべくしないようにしましょうね」が「戒」であり、「罰しますよ」が「律」である。「殺生戒」に照らせば納豆菌だって乳酸菌だって野菜だって生きているのだから、炭酸水と食塩以外は口にできなくなる。したがって、「無益な殺生は控えましょう」というのが殺生戒である。
これに対して、「私にとって不快なことをした対象は、排除しなければならない」というのはテロリズムである。2015年1月7日に起きた「シャルリー・エブド襲撃事件」(フランス・パリで週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社にイスラム過激派テロリストが乱入し、編集長・風刺漫画家・コラムニスト・警察官ら合わせて12人を殺害した事件、およびそれに続いた一連の事件)は黄金律に従えば正当な行為ということになる(もちろん安倍元首相銃撃事件岸田文雄首相襲撃事件 もオッケーだし、古くは浅沼稲次郎刺殺事件もオッケーである)。つまりはロシアによるウクライナ侵攻も、イスラエルとパレスチナの紛争も、ナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストも、「黄金律」によってすべて正当化しうる。「ムカついたから殺した」で済む話であり、その結果は国家の「法律」という「律」と対立しただけの話になるので、「黄金律」の前ではすべての自爆テロは正当化されるので、9.11 も正当化されてしまう。「『戒律』はどこまで普遍化できるか?」という問題に帰着できるといえる。
こうなると医療行為も「どこまで正当化しうるか?」というのは「戒」と「律」のバランスの間において判断されるべきものであり、そこからインフォームド・コンセントとの関わりあいが問題になる。
このあたりは教育界における体罰問題や医療パターナリズム問題などとも関係してくるため重要視されつつあるが、報道の自由や思想・信条の自由、あるいは信教の自由などに関連して、統一教会エホバの証人など社会問題化している。
創価学会幸福の科学がよくてなぜイエスの方舟はダメだとされたか、あるいはオウム真理教はどこがダメだったのかといった話には結着はついていない。

参考文献[編集]

脚注[編集]


関連項目[編集]