麹 義(きく ぎ、生没年不詳)は、中国の三国時代の後漢の武将。
最初は韓馥に仕えたが、反乱を起こして袁紹配下となった[1]。麹義は涼州に長く住んでいたため異民族の戦法を熟知していたため、192年の公孫瓚との界橋の戦いではわずか800騎で敵の大軍を切り崩し、敵将の厳綱を斬っている[1]。しかし調子に乗って易京まで追撃して大敗した[1]。また武功を多数挙げたことを誇って驕慢な振る舞いが多かったため、袁紹の手によって殺害された[1]。
『三国志演義』では公孫瓚の家臣・厳綱を史実どおり斬っているが、当時公孫瓚の客将であった趙雲に一騎討ちで敗死した。