高橋お伝

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが高橋お伝の項目をおカタく解説しています。

高橋 お伝(たかはし おでん、嘉永元年(1848年) - 明治12年(1879年1月31日)は、明治時代を代表する淫婦として知られる日本人女性である。

略歴[編集]

生まれは上野国(現在の群馬県)で、生後間もなくして農業を営む高橋九右衛門養女として出された。お伝が14歳になったとき、高橋は宮下要助を婿に迎えたが、2年余りで離縁した。これはお伝があまりに淫乱だったため、宮下がついていけずに逃げ出したのだという。そのため、次に従兄弟の高橋波之助再婚する。波之助はお伝の淫乱についていったと言われるが、ハンセン病を患ってしまい村にいられなくなり東京に出る。やがて波之助も病死してしまった。

その後、お伝は売春睡眠強盗を繰り返して浅草を根城にして日銭を稼ぐようになった。そんなすさんだ生活の中で元士族小川市太郎と出会って同棲を始める。しかし市太郎が借金で首が回らなくなったため、お伝は市太郎を助けるために明治9年(1876年8月に売春客のひとりである古着屋の後藤吉蔵を蔵前の旅館に連れ込み、寝入ったところを喉元に剃刀を押し当てて殺害し、持ち金を奪って逃走した。その半月後にお伝は逮捕されたが、敵討ちのためだとか出鱈目な供述を繰り返したために審理が混乱、長期化し、死刑判決、執行は大きく遅れた。31歳没。

死刑の後、お伝の遺体は解剖に回され、性器はくり抜かれて、淫婦の局部見本としてホルマリン漬けとされたという。

お伝を描いた作品[編集]

  • 歌謡曲
    • お伝地獄の唄 藤田まさと作詞、大村能章作曲、新橋喜代三唄、ポリドール・レコード 昭和11年4月
  • 漫画
    • 上村一夫 『高橋お伝』 K&Bパブリシャーズ、2005年
    • 杉浦日向子 『ニッポニア・ニッポン』収録『夢幻法師』筑摩書房 1991年

外部リンク[編集]