高橋お伝
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高橋 お伝(たかはし おでん、嘉永元年(1848年) - 明治12年(1879年)1月31日)は、明治時代を代表する淫婦として知られる日本人女性である。
略歴[編集]
生まれは上野国(現在の群馬県)で、生後間もなくして農業を営む高橋九右衛門の養女として出された。お伝が14歳になったとき、高橋は宮下要助を婿に迎えたが、2年余りで離縁した。これはお伝があまりに淫乱だったため、宮下がついていけずに逃げ出したのだという。そのため、次に従兄弟の高橋波之助と再婚する。波之助はお伝の淫乱についていったと言われるが、ハンセン病を患ってしまい村にいられなくなり東京に出る。やがて波之助も病死してしまった。
その後、お伝は売春や睡眠強盗を繰り返して浅草を根城にして日銭を稼ぐようになった。そんなすさんだ生活の中で元士族の小川市太郎と出会って同棲を始める。しかし市太郎が借金で首が回らなくなったため、お伝は市太郎を助けるために明治9年(1876年)8月に売春客のひとりである古着屋の後藤吉蔵を蔵前の旅館に連れ込み、寝入ったところを喉元に剃刀を押し当てて殺害し、持ち金を奪って逃走した。その半月後にお伝は逮捕されたが、敵討ちのためだとか出鱈目な供述を繰り返したために審理が混乱、長期化し、死刑判決、執行は大きく遅れた。31歳没。
死刑の後、お伝の遺体は解剖に回され、性器はくり抜かれて、淫婦の局部見本としてホルマリン漬けとされたという。
お伝を描いた作品[編集]
- 歌謡曲
- お伝地獄の唄 藤田まさと作詞、大村能章作曲、新橋喜代三唄、ポリドール・レコード 昭和11年4月
- 浪曲
- 『高橋お伝』玉川太郎(後の小金井太郎)演
- 映画
- 『高橋お伝』(1912年 福宝堂)
- 『お伝地獄』前中後編(1925年、監督:野村芳亭、高橋お伝:柳さく子 松竹下加茂撮影所)
- 『高橋お伝』前後篇(1926年、監督:山上紀夫、高橋お伝:五月信子 中央映画社)
- 『高橋お伝』(1929年、監督:丘虹二、高橋お伝:鈴木澄子 河合映画製作社)
- 『お伝地獄』(1935年、監督:石田民三、高橋お伝:鈴木澄子 新興キネマ京都撮影所)
- 『毒婦高橋お伝』(1958年、監督:中川信夫、高橋お伝:若杉嘉津子 新東宝)
- 『お伝地獄』(1960年、監督:木村恵吾、高橋お伝:京マチ子 大映東京撮影所)
- 『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(1969年、監督:石井輝男、高橋お伝:由美てる子 東映京都撮影所)
- 『毒婦お伝と首斬り浅』(1977年、監督:牧口雄二、高橋お伝:東てる美 東映京都撮影所)
- 『ザ・ウーマン』(1980年、監督:高林陽一、高橋お伝:佳那晃子 友映)
- 『紅夜夢』(1983年、監督:西村昭五郎、高橋お伝:親王塚貴子 にっかつ=アマチフィルム)
- 漫画
- 上村一夫 『高橋お伝』 K&Bパブリシャーズ、2005年
- 杉浦日向子 『ニッポニア・ニッポン』収録『夢幻法師』筑摩書房 1991年