韓玄

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韓 玄(かん げん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家武将荊州長沙郡太守[1]

生涯[編集]

黄忠伝』によると当時曹操の家臣だった黄忠が稗将軍に任命されて韓玄の統制下に置いたという。『先主伝』によると劉備の荊州南4郡の平定戦に伴い、劉備に降伏したという。『黄忠伝集解』によると長沙市天心区に韓玄の墓が現存している。

三国志演義』では短気な上にすぐ人を殺す暴君として登場。長沙平定のために関羽が出陣してくると黄忠に迎え撃たせるが、後に黄忠を疑って処刑しようとする。しかしその執行前に魏延が韓玄に虐げられていた民衆を扇動して決起し、韓玄は殺された。遺体は黄忠により手厚く葬られている。なお、韓浩の兄とされているが、史実にそのような記録は無い。

脚注[編集]

  1. 小出『三国志武将事典』P144

参考文献[編集]