韓浩
ナビゲーションに移動
検索に移動
韓 浩(かん こう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将・政治家。字は元嗣(げんし)[1]。養子は韓栄。
生涯[編集]
司隷河内郡の出身[1]。最初は河内郡太守の王匡の従事として仕え、反董卓連合軍にも参加する[1]。この際董卓は舅にあたる杜陽を捕縛して自分の配下になるように迫るが拒否した[1]。これを知った袁術は韓浩を賞賛して騎都尉に任命した[1]。後に曹操配下となり、夏侯惇の指揮下に加わったが、その夏侯惇が人質に取られた際にも臆することなく軍を統率する[1]。曹操には屯田制度を採用するよう提案し、護軍に昇進[1]。その後も曹操に従って各地を転戦し、厚い信任を受けた[1]。
『三国志演義』では長沙郡の太守・韓玄の弟として登場し、219年の劉備との漢中攻防戦において当時劉備の配下であった旧臣・黄忠を兄の仇として狙ったが返り討ちにされた。ただし韓玄との血縁関係は創作である。