青山忠門
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青山 忠門(あおやま ただかど、生年不明 - 1571年)は、戦国時代の武将。松平氏家臣。
生涯[編集]
出自[編集]
藤原北家花山院流の出自。室町時代に上野国国人の堀川氏が青山師重と称して青山氏が始まった。
松平氏の家臣[編集]
忠門の出生についてはあまり明らかな事は分かっていない。初めて記録に名が現れた出来事は、近江国国人となっていた忠門が三河国額田郡百々村に移り住んだ事である。その後、青山氏は松平広忠に見出され松平氏の家臣となった。
武功[編集]
1548年、第二次小豆坂の戦いにて初陣を挙げる。松平元康(後の徳川家康)が家督継承後の桶狭間の戦い、三河一向一揆でも城の守備で武功を挙げる。
最期[編集]
1571年に秋山虎繁と徳川勢が激突した際に忠門も参戦したが、銃撃を受けて戦死した。家督は子の忠成が継いだ。