阿波崎城
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阿波崎城(あばさきじょう)とは、茨城県稲敷市阿波崎にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
旧稲敷郡東町の北部の田園地帯に張り出した比高10メートルほどの台地の端に存在した城である。
延元3年/建武5年(1338年)9月、新田義貞や北畠顕家らの有力武将を失っていた後醍醐天皇は、勢力再建のために顕家の父・北畠親房らを同年9月に関東に派遣した。親房らは東条浦に漂着して神宮寺城に入城するが、室町幕府によって派遣された佐竹義篤の軍勢に攻められて、神宮寺城を捨てて阿波崎城に撤退した。
延元4年/暦応2年(1339年)4月、親房は小田氏の支援を受けて筑波の小田城に移り、その後この城に関する記録が無いため廃城になったのではないかと思われる。
現在、城跡は雑木林で覆われており、遺構も大部分が失われている。ただし天満神社の小さな祠と鳥居「准后北畠親房卿城跡」の碑がわずかに当時を偲ばせるものとなっている。南北朝時代を代表する英傑のひとりである北畠親房ゆかりの城だけに、茨城県の史跡に指定されている。