関ヶ原古戦場

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関ヶ原古戦場(せきがはらこせんじょう)とは、岐阜県関ヶ原町一帯のことである。慶長5年9月15日1600年10月21日)に徳川家康率いる東軍石田三成率いる西軍との間で天下分け目となる関ヶ原の戦いが行なわれたことで著名な場所である

概要[編集]

慶長5年(1600年)9月15日、豊臣政権五大老筆頭である徳川家康率いる東軍と、元五奉行であった石田三成率いる西軍が戦火を交えた戦場として当地は有名である。両軍合わせて20万近い大軍が衝突し、小早川秀秋脇坂安治らの寝返りで西軍は総崩れになり、合戦は1日で終了して家康の天下が確定した。

この戦いで特に激戦だったのは天満山や笹尾山で、ここには戦死者を葬った首塚が現在も東西2か所に伝わる。東首塚は関ヶ原駅の北西500メートルに円塚で碑石、標柱が立っている。西首塚は駅の西500メートルに小さな塚で観音堂が建てられている。

なお、関ヶ原町歴史民俗資料館に合戦に関連する考古資料が多く展示されている。

アクセス等[編集]

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